2009年10月22日木曜日

ミヒャエル・ハイドンのミサ曲(1)

「ミサ曲のつくりかた」のための下書きとして、昔書いた論文をアップしておきたいと思います。読み直しと手直しをしながらになります。
ちなみに、ミヒャエル・ハイドンMichael Haydnは、1737年生まれのオーストリアの作曲家で、有名なハイドンの弟。ザルツブルクで活動し、モーツァルトにも影響を与えています。

第1章 ミヒャエル・ハイドン当時のウィーン・ザルツブルクのミサ曲

キリストとその弟子たちとの最後の晩餐を記念して執り行なわれる感謝の典礼がミサ聖祭である。Jungmannによれば、ミサ聖祭は常に賛美、感謝、嘆願、それに贖いといった基本的な目的を備えていた。(注1) ミサ聖祭においては、その初期から音楽が重要な役割を果たしていた。その中でも、日曜日や多くの祝祭日に共通する言葉(通常文)から聖歌隊により歌われるようになったもの(通常唱)、すなわち、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイの5章は「ミサ曲」という1つの曲種として確立された。ミサ曲は、演奏の場であるミサ聖祭の在り方に左右される。それゆえ、ここでは、ミヒャエル・ハイドン当時、すなわち18世紀中葉から終わりにかけてのウィーン・ザルツブルクにおけるミサ聖祭の状況、及びミサ曲の音楽様式について踏まえておきたい。本章は、ミヒャエル・ハイドンのミサ曲研究に当たってのいわば「歴史的背景」であり、彼のミサ曲分析に際しての観点、指標も示されよう。

第1節 典礼におけるミサ曲
18世紀のウィーン・ザルツブルクにおいてミサ曲が演奏される場は、教会あるいは修道院で催されるミサ聖祭のみであった。(注2)そのミサ聖祭には、日曜日や特定の祝日に執り行なわれるものの他に、信者が自発的に捧げる「随意ミサMissa votiva(ラテン語)、Lobamter(ドイツ語) 」があった。これらのミサ聖祭には、ミサ曲以外にも多くの音楽が含まれていた。こうした歌ミサ(Missa cantata)の構成は、以下のように纏められる。

表1-1 18世紀ローマ・カトリックの歌ミサ(注3) →PDFファイルを見る

18世紀のウィーン・ザルツブルクのミサ聖祭における音楽の演奏は次のように行われていた。(括弧内の番号は上記の表1-1の番号と一致する。)

1.ミサ聖祭の前にオルガン・プレリュード、続いてトランペットとティンパニーのためのイントラーダが演奏される。
2.Asperges me 、Tantum ergo 、Vidi aquam(1)はグレゴリオ聖歌、もしくは多声楽曲。
3.入祭唱(2)はグレゴリオ聖歌によることが多い。
4.キリエ(3)、グローリア(4)。
5.昇階唱(7)の箇所では器楽曲が演奏される習慣があった。1780年代までは「書簡ソナタSonata all'Epistola(注4) 」、また、交響曲(“Sinfonia da Chiesa ”(注5) )が演奏された。1780年代の典礼音楽刷新政策の過程で、そうした器楽曲に替わって多声の聖歌が歌われるようになった。
6.アレルヤ唱、詠唱、続唱(8)はグレゴリオ聖歌、もしくは多声楽曲。
7.福音書朗読(9)の後でイントラーダが演奏されることもあった。
8.クレド(11)。
9.奉納唱(12)はモテット、もしくは器楽曲となる。
10.サンクトゥス(15)は、聖変化を間に、“Sanctus ”と“Benedictus”の2楽章となる。
11.聖体奉挙の箇所でオルガンが演奏される。
12.アニュス・デイ(19)。
13.聖体拝領唱(20)はグレゴリオ聖歌、もしくは多声楽曲。
14.Ite, missa est(22)はグレゴリオ聖歌。
15.ミサの後でオルガンのポストリュード、続いてイントラーダが演奏される。

以上のことから、当時のウィーン・ザルツブルクのミサ聖祭が一種の「コンサート」の様相を示していたことがわかる。しかし、こうした音楽の在り方は一定不変であったわけではなく、その時、その場所での教会、政治権力者の典礼に対する神学・思想上の姿勢、また政治・経済面からの要請により変化するものであったことに注意しなければならない。そこで18世紀中葉以降のミサ聖祭に関する諸法令、諸禁令を踏まえておきたい。
1749年2月19日、ローマ教皇ベネディクト14世は、回勅《Annus qui 》を発布した。それによれば典礼における音楽の役割とは「信者の心に祈りと信仰を呼び起こす」ことであり、そのためには「世俗的、また劇場的に聴こえない」こと、さらに「言葉が完全に」(注6) 聴こえることが主張されている。これらの目的を達するための具体的手段として、ティンパニー、ホルン、トランペット、フルート、プサルテリー、リュートといった劇場で使用されていた楽器を禁じている。教会が危険視していたのは、ナポリ派のオペラの音楽様式であり、その様式は実際、アレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725) らによって、ミサ曲にも導入されていたのである。この回勅を受けて、まずウィーンの大司教顧問室Konsistoriumが1753年12月24日、続いて宮廷が宮廷訓令Hofreskript の形で、トランペットとティンパニーの礼拝と行列での使用禁止を命じたが、この禁令は1767年に解除されるまでの間、それほど厳格には守られなかったようである。また、この禁令は、ミサ聖祭においては、イントラーダにのみ適用されたのかもしれない。(注7)
18世紀は「啓蒙主義」の世紀であった。一方、18世紀のローマ・カトリックの典礼、とりわけ荘厳なミサ聖祭においては、会衆は出席はしているものの、理解不能なラテン語による華麗な出来事の「観衆」に過ぎなかった。そこでウィーンではヨーゼフ2世、ザルツブルクではコロレード大司教といった2人の啓蒙君主が、教会音楽の刷新に乗り出すこととなる。
ヨーゼフ2世(1741-90)は、1764年に戴冠して母マリア・テレジアと共にオーストリアの統治者となり、1780年にマリア・テレジアが没すると名実共にオーストリア皇帝の座に就いた。当時のオーストリアは、オスマン・トルコとの長期に亘る戦争により経済的に疲弊し、フランス革命の余波を被りかねない状況にもあった。そうした中でヨーゼフ2世は、政治、経済、宗教他多方面での改革を推進していく。その土台となったのが「ヨーゼフ主義Josephinism 」である。ヨーゼフ主義は、啓蒙思想のオーストリア的表明であると共に、国家とローマ・カトリック教会の力関係を変え、国家主導とすることを目指すものであった。(注8) 教会音楽に関する改革の中には、祝祭日の削減(47日から27日へ)、楽器使用の制限(トランペットとティンパニー)、会衆の典礼参加(自国語聖歌の導入)が含まれている。1783年2月25日付(同年4月20日より発効)の宮廷訓令Hofrescriptは、次のように命じている。

「聖シュテファン大聖堂及び聖歌隊を常備している教会においては、ミサは毎日執り行なわれる。これは季節に応じてオルガン伴奏付、あるいは無しの、歌われるミサである。」
「日曜日と祝日においては、盛儀ミサは各教区の教会で、器楽の参加により執り行なわれる。また、楽器が入手不可能ならば、歌われる。」(注9)

ヨーゼフ2世は啓蒙主義の立場から、ミサ聖祭への会衆の参加と理解をを目的として、自国語、すなわちドイツ語によるミサ聖祭を推進する。それは、ミサ聖祭自体は以前の構成(表1-1を参照)に拠りながら、これまでは聖歌隊が歌っていた通常唱を会衆が歌うようにする、といった刷新であった。この「ドイツ・ミサ」のために幾つかの聖歌集が新たに作られたが、その中で最も好まれたのが、フランツ・ゼーラフ・コールブレンナーFranz Seraph Kohlbrenner(1728-83)の聖歌集(Landshut,1777)であった。
ザルツブルクにおいても、啓蒙主義を信奉するヒエロニムス・コロレードが、1772年に領主大司教に着任し、ヨーゼフ2世と同一歩調をとりつつ教会音楽の改革を推進していった。それは、ミサ聖祭自体の時間短縮に伴うミサ曲の時間制限に始まり、1783年には書簡と福音書の朗読の間の昇階唱における器楽曲「書簡ソナタ」の代わりに合唱曲を置くことを命じ、さらにはドイツ・ミサの導入に至る一連の改革となった。モーツァルト、ミヒャエル・ハイドンはその時間制約に従ってミサ曲を書き、昇階唱の聖歌とドイツ・ミサの作曲を命じられたのはミヒャエル・ハイドンであった。
しかしこれらの諸改革も、オーストリアではヨーゼフ2世の死(1790)、ザルツブルクではナポレオン軍の占領(1800)を以て終わりを迎えるのであった。それでは以上の状況を踏まえた上で、典礼においてミサ曲が具体的にとる形態について考察したい。
ミサ曲の分類に際しては、一般に、通常の日曜日、または小さな教会のための「ミサ・ブレヴィスmissa brevis(短かいミサ)」と、荘厳に祝われる祝祭日や特別の機会のための「ミサ・ソレムニスmissa solemnis(荘厳ミサ)」の用語が使用されてきた。しかし、典礼用語としてのミサ・ソレムニスは、全ての言葉が歌われる「歌ミサ missa cantata」を意味し、その対義語は言葉全てが朗読される「読誦ミサ missa lecta」である。実際、ミサ曲の当時の分類法では、これらの用語は使用されていなかった。それゆえ、今日の視点からミサ曲を考察するに当たっても、これらの用語法は吟味する必要がある。
18世紀ウィーン・ザルツブルクの典礼法規、主題目録、音楽理論書、音楽辞典における分類、それに楽譜に記された題名を見れば、当時のミサ曲が、演奏の機会(祝日の名、「主日の de Dominica」)、編成(「声のvokale」)、様式(「対位法による in cotrapunto」)、また長さ(「短かいbrevis」)といった様々な基準により命名、分類されていたことがわかる。(注10)実際、ミサ曲の在り方そのものも、それが作曲された時期、それに演奏が意図されていた場所の習慣により、多様であった。
上記の問題点を踏まえた上で、MacIntyreは、当時のウィーンにおけるミサ・ブレヴィスとミサ・ソレムニスの音楽上の一般的特徴を次のようにまとめている。(注11)

〈ミサ・ブレヴィス〉
・各通常唱内の楽章数が少ない。多歌詞といった手段で楽曲の短縮化がなされる。
・教会トリオ(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、オルガン)を核とする小編成。
・合唱主体で独唱は合唱に組み込まれる。
〈ミサ・ソレムニス〉
・各楽章が合唱、アリア、重唱、フーガといった幾つかの曲目から成る、いわゆる「カンタータ・ミサ」の形をとる。
・トランペットとティンパニーを伴う、大編成のオーケストラ。
・通常ハ長調による。

しかし、これらの特徴は決して固定的でも排他的でもないことに注意しなければならない。18世紀後半のウィーンでは、典礼の簡素化、また音楽上の趣味の変化により、ミサ・ソレムニスの楽章数は減少する傾向にあった。ミサ・ソレムニスの楽章構成に、ミサ・ブレヴィスのそれが導入されたのである。ザルツブルクにおいても、ミサ・ソレムニスの「ミサ・ブレヴィス化」、ないしはミサ・ブレヴィスの拡大が、典礼上の要請を契機に行われていた。1772年、病死したシギスムント・シュラッテンバッハSigismund Christoph Schrattenbach の後任としてザルツブルクの領主大司教に着任したヒエロニムス・コロレードHieronymus Colloredo は、教会音楽の刷新に取り組んだ。彼がまず命じたのは、ミサ曲の時間短縮であった。それは1776年9月4日付のボローニャのマルティーニ神父宛のW.A.モーツァルトの書簡からも明らかである。

「キリエ、グローリア、クレド、ソナータ・アレピストラ、オッフェルトリオ、あるいはモテット、サンクトゥス、それにアニュス・デイのすべてを含むミサ、さらにもっとも荘厳なミサですら、大司教御自身がじきじきに取りおこないますときには、一番長くてさえ45分以上にわたって続いてはならないのです。この種の作曲には特別な勉強が必要であります。それにあらゆる楽器-軍隊用トランペット、ティンパニ等を伴ったミサ曲であることが要求されます。」(注12)

ザルツブルクにおけるこうした短かいながらもトランペットとティンパニを伴うミサ曲は、“Missa brevis et solemnis”と呼ばれていたことが、Walther Sennの研究により明らかとされている。(注13)次に示すモーツァルトのミサ曲の小節数、編成の表中の下線を付したミサ曲を参照されたい。

(ここで編集が息切れです。続く)

音楽には宗教的な力がある

夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
お手々つないでみな帰ろう
からすといっしょにかえりましょ

誰でも知ってる《夕焼け小焼け》(仲村雨紅作詞、草川作曲)の歌詞です。
これが、宗教音楽と何の関係があるのかって?
では、この歌詞を人生になぞらえてみてください。

「夕焼け」とは人生の黄昏です。
最期を間近にして「山のお寺」で諸行無常の鐘が鳴ります。
そして、みな一緒に彼岸へと「帰ろう」、
さらに、「からす」も含めて
生きとし生けるものも平等に最期の時を迎えようという想いが
自然に胸の底から湧いてくるようになります。

このように仏教的な読み方ができるのですが
ちょっと牽強付会でしょうか?
(この読み方は、宗教学者の山折哲雄さんもどこかで紹介されてます)

けれども、もしお年寄りが、
《夕焼け小焼け》にこうした含みを感じて歌うのなら
それは、死を迎える振る舞いの一つとして、
私たち、あとに続く者は、
ともに歌いたいと思うのです。

私の中で、宗教音楽学とはこのように、
音楽に隠された宗教的な力を明らかにすることで
ひとが心を癒したり、他者と感情を分かち合うことを
促していくための研究でもあります。


2009年10月21日水曜日

Musica Sacra Japanへようこそ

Musica Sacra Japanへようこそいらっしゃいました。

Musica Sacraとは、聖なる音楽、つまり宗教音楽のことを言います。
本サイトでは、宗教的な音楽はもちろん、音楽の持つ宗教的な力についても、宗教音楽学の視点から、楽しみながら考えて参ります。
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

また、本サイトは、立案中のオンライン形式の「宗教音楽辞典」のための覚え書きという存在理由もあります。辞典の作成に加わりたいという方は、どうぞご連絡ください。
宗教音楽の演奏会の告知なども歓迎いたします。

管理人torajiro


イスラエル出土のランプ(2世紀頃 レプリカ)


2009年10月16日金曜日

(2)ミサ通常文対訳

書きかけですがアップしておきます。
ミサ通常文の対訳です(torajiro訳)

◇キリエKirie◇
Kyrie eleison.
主よ、憐れんでください。
Christe eleison.
キリストよ、憐れんでください。
Kyrie eleison.
主よ、憐れんでください。

◇グローリアGloria◇
Gloria in excelsis Deo.
いと高きところには神に栄光がありますように
et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
そして地では善意の人々に平和がありますように。
Laudamus te.
私たちはあなたを誉めます。
Benedicimus te.
あなたを祝福します。
Adoramus te.
あなたを拝します。
Glorificamus te.
あなたを崇め奉ります。
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.
あなたに感謝をささげます、あなたの大いなる栄光のゆえに。
Domine Deus, Rex caelestis, Deus Pater omnipotens.
神である主よ、天の王よ、全能の父なる神よ。
Domine Fili unigenite, Jesu Christe.
唯一の御子である主よ、イエス・キリストよ。
Domine Deus, Agnus Dei, Filius Patris.
神なる主よ、神の子羊よ、父の御子よ)
Qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
世の罪を取い除いてくださる方よ、私たちを憐れんでください。
Qui tollis peccata mundi, suscipe deprecationem nostram.
世の罪を取り除いてくださる方よ、私たちの願いを聞き入れてください。
Qui sedes ad dexteram Patris, miserere nobis.
父の右に座すお方よ、私たちを憐れんでください。
Quoniam tu solus sanctus,
なぜなら、あなただけが聖なる方であり、
Tu solus Dominus, Tu solus altissimus,
あなただけが主であり、あなただけがいと高き方なのだから、
Jesu Christe.
イエス・キリストよ。
Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris.
聖霊とともに父なる神の栄光のうちに。
Amen.
アーメン。

◇クレドCredo◇
Credo in unum Deum.
私は唯一の神を信じます。
Patrem omnipotentem,
全能の父を、
factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium.
天と地、見えるものと見えないものを作られた方を。
Et in unum Dominum Jesum Christum,
そして唯一の主であるイエス・キリスト、
Filium Dei unigenitum.
神の唯一の子を。
Et ex Patre natum ante omnia saecula.
そして、世のすべてのものより前に父から生まれた方を。
Deum de Deo, lumen de lumine, Deum verum de Deo vero.
神の中の神、光の中の光、本当の神の中の本当の神を。
Genitum, non factum, consubstantialem Patri:
作られること無く生まれ、父と一体である方、
per quem omnia facta sunt.
万物の造り主である方を。
Qui propter nos homines,
私たち人間のために
et propter nostram salutem descendit de caelis.
そして私たちの救いのために天から下られた方を。
Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine:
そして聖霊によって聖母マリアから肉体を受け、
et homo factus est.
人間となられた方を。
Crucifixus etiam pro nobis:
私たちのために十字架にかけられ、
sub Pontio Pilato passus, et sepultus est.
ポンツィオ・ピラトのもとで苦しみを受け、葬られた方を。
Et resurrexit tertia die, secundum Scripturas.
そして聖書に書かれている通り、三日目に蘇られた方を。
Et ascendit in caelum: sedet ad dexteram Dei Patris.
そして天に昇り、父なる神の右に座られた方を。
Et iterum venturus est cum gloria,
そして再び栄光とともに世に来られ、
judicare vivos et mortuos:
生きる者と死んだ者を裁く方を。
Et in Spiritum Sanctum, Dominum, et vivificantem:
そして聖霊、すなわち、主、また生命を与えてくださる方、
qui ex Patre Filioque procedit.
父と子から出て来られた聖霊を。
Qui cum Patre et Filio simul adoratur, et conglorificatur:
父と子と共に、拝され、あがめられる聖霊であり、
qui locutus est per Prophetas.
預言者を介して語られた聖霊を。
Et unam sanctam catholicam et apostolicam Ecclesiam.
そして、唯一の、聖なる、公の使徒継承の教会を。
Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum.
私は罪の赦しとなる唯一の洗礼を認めます。
Et exspecto resurrecationem mortuorum.
そして私は待ち望みます、死者の復活を。
Et vitam venturi saeculi.
また来たる世の生命を。
Amen.
アーメン。

◇サンクトゥスSanctus◇
Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus Deus Sabaoth.
聖である、聖である、聖である、万軍の神なる主は。
Pleni sunt caeli et terra gloria tua.
天と地はあなたの栄光に満ちています。
Hosanna in excelsis.
いと高きところにオザンナ。
Benedictus qui venit in nomine Domini.
主の御名によって来られる方は誉めらるべき。
Hosanna in excelsis.
いと高きところにオザンナ。

◇アニュス・デイAgnus Dei◇
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: miserere nobis.
世の罪を取り除かれる神の子羊よ、私たちを憐れんでください。
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: miserere nobis.
世の罪を取り除かれる神の子羊よ、私たちを憐れんでください。
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: dona nobis pacem.
世の罪を取り除かれる神の子羊よ、私たちに平安をお与えください。

我が家のお姫様チビコ

2009年10月15日木曜日

(1)はじめに

全国のミサ曲フリークの皆さん、こんにちは。
おいしい料理を食べると自分でも作ってみたくなるように(ならないか?)、ミサ曲に心を打たれていると、自分でも作曲してみたくなるのが世の常だと思います(違いますか?)。

私も、10代の頃にミサ曲の魅力に取り憑かれてからというもの、「いつかはミサ曲を書きたい」と思ってきました。そのためにはまず、作品の分析が必要だろうと思っていると、いつの間にか苦労して入った大学をやめて、音楽大学で音楽学を学ぶハメになっていました。しかし、そうまでしたのに、いまだにミサ曲を完成させたことがありません(泣)。
そこで、これからミサ曲を書くというライフワークに取り組んでいくにあたって、独りでは寂しいなと感じて、この「ミサ曲のつくりかた」を世に問おうという訳です。

もちろん、ミサ曲は自分なりに勝手に書いても構わないのですが、私と同様に「ミサの玄義やミサ曲の歴史なりを踏まえて書きたい」と願っているミサ曲フリークの皆さんに、私なりに学んだ知識をお伝えしながら、一緒になって楽しく作曲の作業を進めて参りたいと思います。「作曲まではしたくないなあ」と思っている方も、既存の名曲の数々を聴く時の参考にでもしていただければ甚句にたえません。
なお、この文章は、最後まで完成させることを最優先して、さらっと書いていきます。ですから、途中で何度も書き直しますし、それにもかかわらずミスや不足があるかもしれません。この文章を参考にミサ曲を作曲して「ああ、間違った情報を鵜呑みにしてしまった」と嘆いてみても、その責任は一切負いません(笑)。ただ、明らかな誤りや揺るがせにできない疑問がございましたら、コメント欄からご連絡ください。そして、もし実際にミサ曲を作曲される方がいらっしゃいましたら、楽譜や音のデータを是非ともお送りください。

◇作業の前に◇
「ミサ曲のつくりかた」では、音楽史に基づいた作曲法を考えて参ります。そのため、音楽史上、ミサ曲史上重要と考えられる作品に接していただきたいと思います。ミサ曲フリークの皆さんにとっては馴染みのある作品ばかりかもしれませんが、これから言葉を用いて議論していくためには、共通の知識が必要となるからです。また、楽譜と音源、推薦CDもご紹介していく予定です。
本来は、どのような作品であれ演奏であれ、できるだけたくさんの楽譜を読み、演奏を聴くことが音楽史学的な頭と耳を育むことになるのですが、ここでは作業を進めるためにも効率のよい方法を採りたいと思います。

〈必須10ミサ曲のリスト〉(楽譜と音源、推薦CDは準備中)
1.グレゴリオ聖歌《主の御降誕夜半のミサ》
2.マショー《ノートルダム・ミサ曲》
3.パレストリーナ《教皇マルチェルスのミサ曲》
4.バッハ《ミサ曲ロ短調》BWV.232
5.ハイドン《ネルソン・ミサ曲》
6.ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》op.123
7.フォーレ《小ミサ曲》
8.ヤナーチェク《グラゴル・ミサ曲》
9.ストラヴィンスキー《ミサ曲》
10.高田三郎《やまとのささげうた》

〈参考10ミサ曲のリスト〉(楽譜と音源、推薦CDは準備中)
11.オケゲム《ミサ・カノニカ》
12.クープラン《教区のためのミサ》
13.ヴィヴァルディ《グローリアニ長調》RV.589
14.モーツァルト《戴冠ミサ曲》
15.ロッシーニ《小荘厳ミサ曲》
16.シューベルト《ドイツ・ミサ曲》
17.グノー《聖セシリアの荘厳ミサ曲》
18.ブルックナー《ミサ曲第2番ホ短調》
19.ラミレス《ミサ・クリオージャ》
20.バーンスタイン《ミサ曲》

〈さらに参考10ミサ曲のリスト〉(作品選定中)

この後は、ミサ曲を作曲する前に考えなければならないこと、知らなければならないことについて書いてまいります。

篠崎駅前のロロ(今は引き取られたとか)

2009年10月12日月曜日

ビクトリア《聖週間のためのレスポンソリウム集》

「お気に入り」でご紹介している作品を見ていたら。ルネサンスのものが1つもないことに気づきました。ルネサンスの作品はもちろん嫌いではありません。むしろ音大時代から、ルネサンスの曲はずいぶん歌ってきました。
今まで歌ったことのあるルネサンスの作品の中で、トマス・ルイス・デ・ビクトリアTomás Luis de Victoria(1548-1611)の宗教音楽は、私にとって特別なものとなっています。

ビクトリアは、パレストリーナとほぼ同時期のスペインの作曲家で、一説にはパレストリーナに師事したと言われています。しかし、彼の音楽は、ルネサンスの音楽様式に基づきながら、その枠から飛び出そうとしているように聴こえます。
たとえば、この《聖週間のためのレスポンソリウム集》においても、歌詞の意味に応じて、ルネサンス的な均整を破る手法をしばしばとっているのです。ちなみにパレストリーナには、こうした特徴はありません。

聖木曜日のための《Caligaverunt oculi mei》(私の眼は曇った)を聴いてください。

録音はこちらから(CDの演奏とは違います)
楽譜はこちらから

歌詞対訳(torajiroによる):
Caligaverunt oculi mei a fletu meo
私の眼は涙で曇った
quia elongatus est a me, qui consolabatur me:
私を慰めた方が、私から引き離されたから。

Videte, omnes populi,
見なさい、すべての民よ、
Si est dolor similis, sicut dolor meus.
私と同じ悲しみがあるのかどうか。

O vos omnes, qui transitis per viam,
おお、道を行く全ての人たちよ、
attendite et videte.
聴きなさい、そして見るのだ。

この作品は、キリストが十字架にかけられたことを記念する受難週に歌われるもので、中間部分、「Si est dolor similis, sicut dolor meus.私と同じ悲しみがあるかどうか」で、ソプラノが悲痛とも言える叫びを発します。叫びと言っても、もちろん音楽的なものですが、ここに私は、ルネサンスの終焉を感じるのです。

さて、紹介しているCDは、16名の歌い手から成る「ザ・シックスティーン」による演奏です。タリス・スコラーズの演奏もいいのですが、こちらの方が響きが厚く、私は好きです。





Tower Records EMI Classical Treasures QIAG-50003

2009年10月11日日曜日

宗教音楽の歌詞対訳

オペラの対訳の仕事をしていて気づいたのですが
英語圏のウェブサイトでは、イタリア語やドイツ語のオペラの歌詞が
英語にすべて訳されて掲載されています。
日本語ではまだなく、高価な書籍として販売されている状況です。

そこで、宗教音楽で同じことをやろうと考えました。
すでに多くの歌詞対訳が存在していますが
すべてを網羅していくことがこのプロジェクトの目的で
また、使用料は無料で提供していくことに意味があると考えています。

手始めに、ここで掲載した《ドイツ・レクイエム》、
それから取り組みやすいものからスタートしますが
まだページのフォーマットを決めかねています。
宗教音楽の用語集も含めて、wikipediaのような形式にすれば、他の方にも手伝っていただけるかなあ、などと考えています。
そうすれば、別のプロジェクトの「音楽修辞法」も一緒に取り扱えますし。

近々、答えを出したいと思います。

ある寒い夜、三歳で逝ったとら子