2009年9月27日日曜日

(1) グレゴリオ聖歌との出逢い

楽譜が配られます。あれ、日本語じゃないや。英語かな? うーん、何て読むんだろ。楽譜も変だ。線が4本しかないぞ。

これが私のグレゴリオ聖歌との出逢い。歌好きの母の影響で、私は小学生の時に合唱団に入りました。初めは世界の民謡などを歌っていたのですが(もちろん日本語)、高学年になって、いきなりグレゴリオ聖歌を歌わされるハメになったのでした。みんな当然すぐに歌えるはずもありません。カタカナで読みかたを練習しながらピアノで音を拾ってもらって次第に音楽が形を現してきます。曲は《アヴェ・マリアAve Maria》、《元后あわれみの母Salve Regina》、《サンクトゥス9番》。ステージでは白いガウンを着て歌い、ちょっと照れくさかったことも思い出です。当時は外国語の歌を歌うこと自体の面白さで心はいっぱいで、きれいだなあと漠然と感じるだけでしたった。

高校生になって、LPレコード(当時CDはありません)を聴き始めましたが、「グレゴリオ聖歌はクラシック音楽の源泉だ」と何かで読み、宇都宮の県立図書館でLPを借りられるので、ガジャール神父指揮のソレム修道院の演奏を片っ端から聴き始めました。LPには楽譜も付いていて、自分の部屋で歌ったものです。その後、大学を退学し、音大に入り直すべく広島の実家に戻って受験勉強を始めましたが、その時に教えを受けたのが、世界的なグレゴリオ聖歌の研究者である水嶋良雄さん(先生)だったのです。

音楽大学というところは私にとって居心地のいい場所でした。講義にまったく興味が持てなかった前の大学とは違って、ほとんど好きなことばかりを勉強していられたからです。水嶋先生のグレゴリオ聖歌の講義もその一つでした。
授業は、水嶋先生の歌で始まります。曲目は季節に応じた聖歌で、学生は、先生の歌を手本に一緒になって歌います。それが終わると全員着席して講義が始まります。その講義の中で、僕は1000年も前に《ドレミの歌》があったことを知ったのでした。

《ドレミの歌》といえば、知らない人はまずいないでしょう。元は、アメリカのミュージカル《サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music》の有名な曲ですが、この映画の方もご覧になった方が多いはずです。
主人公の修道女マリアが、オーストリア海軍のトラップ大佐の元へ家庭教師として赴き、母親を亡くして久しく音楽を忘れた子供たちに、音楽の基本である階名唱を手ほどきするときの歌が《ドレミの歌》でした。
しかし、このあまりに有名な名曲にはオリジナルがあったとしたら?

そもそもみなさんは不思議に思ったことがないでしょうか。階名の「ド」とか「レ」とか、あるいは音名のAやBはどのように決まったのか。物事には始まりがあります。階名と音名もそうです。その中でも階名は、グレゴリオ聖歌に源があったのです。

さて、「1000年前のドレミの歌」のお話に移る前に、グレゴリオ聖歌を聴いてみてください。グレゴリオ聖歌を聴いたことのない人は、こちらからどうぞ。

Enterを押してページが切り替わったら、ページの一番下、小さな字がごちょごちょしている中からArchivesをクリック。またページが変わるので、そしたらGregorian Chantのリンクをクリックします。すると、いろんなグレゴリオ聖歌のタイトルが出てきます。
手始めに《Requiem(レクイエム)》を聴いてみてはどうでしょう。これがが気に入ったなら、フランス近代の作曲家デュリュフレの《レクイエム》もおすすめです。



映画《サウンド・オブ・ミュージック》(DVD)

Youtubeで発見

なんとなくネットサーフィンをしていたらYoutubeで面白い動画を発見しました。
東京フィルの演奏会に向けての宣伝も兼ねた楽曲分析のようです。

和声進行と動機労作のアナリーゼなのですが、内容はさておき、こういう形で自分の研究や意見をアピールできるんだということに気づきました。
宗教音楽では2曲ほど動画がアップされています。

ドクトル中川のアナリーゼ ~ドイツ・レクイエム(前編)~
ドクトル中川のアナリーゼ ~教会音楽「スターバト・マーテル」(前編)~

ただ、家には電子ピアノしかなく、しかも部屋は荒れ放題。
○○君のオルガンを借りて録画しようかな(笑)。

2009年9月26日土曜日

バッハ《ミサ曲ロ短調》

18歳の春、浪人中であるにもかかわらず、市民合唱団に入りました。合唱コンクールの自由曲で歌ったのが、バッハの《ミサ曲ロ短調》BWV.232の「Gloria in excelsis Deo」と「Dona nobis pacem」でした。結果は残せませんでしたが、この作品と出逢ったことは、私の音楽生活にはプラスになりました(受験にはマイナスでした!)。

《ロ短調ミサ》は、同じくバッハの《マタイ受難曲》とは全く別の魅力を持っています。《マタイ》が人間の「裏切り」に眼差しを向けて音楽も組み立てられているのに対して、《ロ短調》はラテン語の歌詞であることもあって、純粋に音楽的なのです。当時の私には、この作品全体は巨大なモニュメントが眼前にあるかのように感じられましたし、静かな部分では、瞑想に誘われるかのようでした。

その後、さまざまな演奏を聴いた後ですが、今ではフランツ・ブリュッヘンの演奏が気に入っています。とりわけ18世紀オーケストラの響きには感服します。それに比べて合唱がやや非力なのですが、カウンター・テナーのマイケル・チャンスをはじめとして、独唱は美しいと思います。少し前に出たグスタフ・レオンハルト盤もいいのですが、カウンター・テナーのルネ・ヤーコプスの癖のある歌い口が、私のイメージする《ロ短調》には合わないのです。

さて、この《ミサ曲ロ短調》は、いくつかのステップを経て全曲が完成されています。その経緯はここでは説明しませんが、全体がバロックの「カンタータ・ミサ」のスタイルで構成されています。
「カンタータ・ミサCantata Mass」(「Missa cantata歌ミサ」とは別)とは、イタリアのナポリで始まったミサ曲の作曲法で、歌詞を細かく分け、それぞれを独唱や重唱、合唱といった一つの曲として音楽を付け、それらを並べて全曲と成すものです。
本来のカンタータにはレチタティーヴォが付きものですが、「カンタータ・ミサ」ではレチタティーヴォはありません。典礼であるミサの中で司祭が朗唱する言葉がその代りだと言えるかもしれません。
ともあれ、「カンタータ・ミサ」のスタイルは、長く豪華で祝祭的なミサ曲を書くためにうってつけで、すぐにドイツにも伝わりました。

ところが、バッハの死後、18世紀後半になると、「カンタータ・ミサ」に含まれる曲数は減っていきます。つまり、従来は1行から数行を1曲として作曲していたのが、5行10行以上の行に曲を付けるようになったということです。これは演奏時間の短縮とミサ全体の簡素化にもつながったのですが、音楽的に見れば、長い作品の構成原理が変わってきたことを反映していると考えられます。
中世では、聖歌の旋律を長く引き延ばした「テノール」が作品の屋台骨でした。ルネサンスでは、同じ旋律を各パートが繰り返すことで音が組織化されていました。バロックからは歌詞の内容に応じて異なる性格の曲が書かれ、それらが組み合わされて全体が構成されました。そして、18世紀の終わりには、ソナタ形式のような原理で曲が書かれ始めます。

バッハの《ミサ曲ロ短調》は、そうした歴史の流れに屹立する記念碑的な作品です。

ブリュッヘン指揮の《ミサ曲ロ短調》 マーキュリー・ミュージックエンタテインメント PHCP-1672/3

2009年9月25日金曜日

(1) ひとは音楽を必要としている

三年前の冬に家族同様の猫を一匹失いました。
野良猫だったのを餌をやっていたら、近隣の住人から庭で糞をすると文句を言われ、やむを得ず引き取って面倒を見ていた若い猫です。動物病院で避妊とワクチンの処置をした時、院長先生から長生きできないと言われました。なんでも、心臓の鼓動が不安定で、糖尿病の気もあるらしいのです。それでも、とら子と名付けられた茶とらの猫は、先住者の3匹の猫たちに虐められながらも、2年くらいは元気に走り回っていました。

とら子はなぜか、家族の中でも私だけになついていました。仕事をしていると足下に、寝るときは枕元にいて、私が外出するときは家の中から「行くな!」と鳴き叫びました。そんなとら子が逝ってしまったのです。
冬のまだ暗いうちに、突然ゲホゲホと咳をしたので家人と一緒に飛び起きて様子を見ると、力なくぐったりしています。眼はビー玉のようになって、急速に光が消えていく。動かない。何度声をかけてもまったく動かない。とら子はまだ3歳なのに…。
私たちはなけなしのお金でペットの葬儀屋を呼び、葬儀屋の車でトラ子を火葬にしました。骨になるととても小さいのですね。お骨を箱に入れてテーブルに写真とともにおいて、線香をあげる毎日が続きました。

とら子を失った悲しみは、じわりじわりとやって来ました。自分を慕っていたとら子にいったい何をしてやれただろうか。悲しみに後悔や悔しさも入り交じって、涙が流れました。
けれども、不思議なことに、私は不思議な気持ちも抱くようになっていまし。とら子があれほど私に付きまとっていたのは、何かをしてほしいわけではなく、ただ一緒にいたいからだったと思うと、体もも温かくなったのです。この気持ちが悲しみを鎮めてくれました。そこから、とら子のために一枚のアルバムを取り出し、古いLPプレーヤーでとら子の写真を見ながら聴くまでにさほどの時間はかからなかったと記憶しています。そのLPアルバムは、不世出のバリトン、ハンス・ホッターの歌う『冬の旅』(写真はCD)でした。

人生は旅にたとえられます。とら子の生涯もまた旅でした。冬に命が尽きたとら子に『冬の旅』はしっくりきます。いや、それは残された私の心のためのものだったのではないでしょうか。死の音楽はいつも、残された者の生のために奏でられるのだから。
伝説の東京ライブでのホッターは、深く温かい声で、とら子を看取った私の心を包んだことは間違いありませんでした。

エピソードが長くなりました。でも、私の心には、たしかに音楽が必要だったのです。そして、「死」を意識してひとが選ぶ音楽は、そのひとの人生を反映しているのだと思います。そんなことを踏まえつつ、「死の音楽death music」をテーマに、少しずつ考えていきたいと思っています。



シューベルト《冬の旅》
ハンス・ホッターの東京ライブ
SONY SRCR-1848

ヴェルディ《レクイエム》

高校生の頃、モーツァルトの《レクイエム》で宗教音楽に目覚めた後、ヴェルディの《レクイエム》にはまりました。当時は地元の図書館でLPレコードの貸し出しをやっていたのですが、その図書館は日本有数の所蔵を誇っておりまして、せっせと通っては、違う指揮者の演奏を次々に聴いていました。

ある時、古いレコードを借りたのですが、ジャケットから取り出してびっくり。なんと昔懐かしいソノシートのように盤が赤く半透明なのです。これはどうやら、ホコリを呼び寄せる静電気を減らすことと音質を柔らかくするのに効果があるということで採り上げられたもののようでした。

演奏は、1939年のモノラル録音でしたが、私は決してガッカリなどしませんでした。というのはテノールソロのベニャミーノ・ジーリに出逢えたからです。ジーリの声は柔らかで、それでいて張りがあり、その声の美しさの前には、私はただただぽかんとするだけでした。

ヴェルディの《レクイエム》の初演は1874年。その当時から評判になるとともに、「宗教音楽の衣をまとったオペラ」(ハンス・フォン・ビューロー)と批判も受けました。たしかに全曲を通して、オペラ歌手でなければ演奏不可能なフレーズに満ちているのは事実です。でも、それが瑕疵にならないほど、この作品は素晴らしいとしか私には言いようがないのもまた事実です。

彼のアイデアで素晴らしいのは、「怒りの日Dies irae」の箇所が何度も再現され、死の恐怖が全曲を通して楔のように打ち込まれていることでしょうか。ちなみにこのアイデアは、ドヴォルザークの《レクイエム》でも採用されています。

セラフィン盤は1939年録音ということで、著作権が切れていると推察されます。そこでYou Tubeにアップロードされている録音を紹介します。

Verdi Requiem Requiem & Kyrie Serafin 1939 Part 1

残りは、上のリンクから順に進んでみてください。

ジーリの歌う《レクイエム》

メンデルスゾーン《エリヤ》

メンデルスゾーンは19世紀の宗教音楽の方向性を決定づけた作曲家の一人です。その彼の功績の一つは言うまでもなく、バッハの《マタイ受難曲》の復活蘇演ですが、その時の演奏会と同じプログラムで同じ編曲がCD化されていて、なかなか興味深いものです。

さて、メンデルスゾーンの宗教音楽の代表作といえば、オラトリオ《エリヤ》でしょう。マズアやコルボの演奏を聴いてきましたが、このところはヘレヴェッヘ盤が気に入っています。柔らかでケレン味のない演奏だから、力強さには欠けるかもしれませんが、歳とともに心に染み入るものを求めるように変化(老化?)している 私にとっては、それがいいのです。

さて、預言者エリヤは、バアル神を信じる人びとが担ぎ出した魔術師と戦います。バアル神とその妻アシュタロテはカナンの人びとの神。旧約聖書を紐解くと、ヘブライの民の歴史は異教と偶像の崇拝、そして神から与えられる罰の歴史でもあります。アシュタロテ像を見て、一神教の神の厳しさに思いを馳せつつ、作品を聴いています。

メンデルスゾーン:オラトリオ「エリヤ」 仏ハルモニア・ムンディ HMC901463 フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 シャペル・ロワイヤル、コレギウム・ヴォカーレ、シャンゼリゼ・オーケストラ、ペリテ・サロマ(Bass)、ソイレ・イソコスキ(Sop)、M.グローブ(Alto)、デルフィーネ・コロット(Sop)、J.M.アインシュレイ(Ten)

2009年9月23日水曜日

ヴァニハル《ミサ・パストラーリス》

ヴィーン古典派といえば、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンですが、
当然、大勢の作曲家が同時代に活動していました。
ヨハン・バプティスト・ヴァニハルJohann Baptist Vanhal(1739-1813)もその一人。

18世紀の最後の10年、オーストリアのミサ曲には決定的な「変化」が生じていました。
ヨーゼフ・ハイドンによる「交響ミサ曲」です。
これは、バロックの組曲やアリアで曲が構成されるバロックの「カンタータ・ミサ曲」に対して、ミサ曲を「キリエ、グローリア」、「クレド」、「サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイ」という3つのブロックに分け、各ブロックがそれぞれ一つの交響曲のように組み立てられるというものです。

けれども、こうした「交響ミサ曲」の成立は、ひとえにハイドンに栄誉が帰せられるわけではありません。
既に18世紀の後半では、バロックの祝祭的な音楽様式は次第に退潮し、ミサ曲は啓蒙主義の時代に合わせて簡素化され始めていました。ハイドンはそうした傾向を集約したのです。

ヴァニハルのこの作品も、18世紀のこうした傾向の証拠の一つです。
古典派のミサ曲に親しんでいる人にとっては、モーツァルトやハイドン兄弟の作品と同じ響きを感じ取るかもしれません。ただ、彼らの音楽がかなり国際的な様相を示しているのに対し、このヴァニハルの作品は、クリスマスの音楽ということもあいまって、オーストリアのローカルな伝統を反映しています。たとえばドローンとして持続されるバスは羊飼いの音楽であり、ヨーデル的なフレーズを聞くこともできます。

ヴァニハルなど、今では無名になってしまった作曲家がたくさんいて、モーツァルトやハイドンはその中で音楽生活を送っていたのでした。


Vaňhal:Missa Pastoralis NAXOS 8.555080 Uwe Grodd指揮 Tower Voices New Zealand Aradia Ensemble

2009年9月21日月曜日

(1) 曲当てクイズ

この《レクイエム》が誰のものかって?
イントロのメロディは……。ああ、ガスマンだね。あれ、ヘンデルっぽいところもあるぞ。これは「メサイア」だ。うーん、ゴセックとも似ているな。「Domine Jesu Christe…」ミヒャエル・ハイドンのと作りも歌詞の割り振りもそっくりじゃないか。「Sanctus…」 驚いた。これはバッハの長男フリーデマンのパクリだ。
こんなに曲を知っていて、うまくつなぎ合わせる力量はなかなかのもんだ。それに、パクリだっていうのに、こんなに素晴らしいというのはのは…。「Confutatis」の地獄の劫火とひたすらな祈り。「Lacrimosa」なんて、涙が出るほど痛切だった。

これを誰が作曲したのかって? ガスマン、ハイドンの弟が入っているのだから、オーストリアの作曲家だろうよ。ゴセックっぽいところもあるから、フランスへ行ったことがあるんじゃないか。ヘンデルを勉強したことがあって…、大バッハがらみの楽譜を見ることができる奴は限られている。そして、曲の素晴らしさといえば…。

そうだ。モーツァルトだ。

上はもちろん架空の曲当てクイズです。曲当てをしているのは、兄ハイドンか、ヴァン・スヴィーテンか、はたまたサリエリといったところでしょうか。モーツァルトの《レクイエム》(k.626)には、それだけ多くの巨匠たちの音楽が入り込んでいます。
天才たるモーツァルトともあろう者が、なぜこのような作曲法を選んだのか、というのが本小論のテーマです。

本論に進む前に、モーツァルトの略歴を振り返っておきましょう。

モーツァルトが生まれ育ったのはオーストリアのザルツブルク。ザルツブルクは日本で言えば、島根県の津和野のような小さな街です。山間いには川が流れ、山の上にお城があるところなどそっくりです。1756年、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、ザルツブルクの宮廷音楽家レオポルトの家に生まれました。モーツァルトの生涯は、いろいろな本やサイトで読めるので、ここでは宗教音楽に的を絞っていきます。

アマデウスが天才児であることがわかって、父レオポルトは作曲の教育を始めます。だから、宗教音楽の最初の師匠も父レオポルト。たとえば、かつては K.115とされていたミサ曲は、レオポルトの《荘厳ミサ曲ハ長調》の筆写、もしくはミサ・ブレヴィスの形への転用改作であることが今日では判明しています。
また、レオポルトは息子とともにヨーロッパ中を演奏旅行に出かけたことが知られています。旅先では様々な作曲家と出会ったり、演奏を聴いて刺激を受けました。イタリアでは、ヴァティカンで門外不出の秘曲とされていたアレグリの《ミゼレーレ》を一度聴いただけで楽譜に写し取り(ただ、この曲の合唱部分は単純で、それが何度も繰り返される)、ロンドンでは、バッハの息子ヨハン・クリスチャン・バッハとも会っています。
また、ザルツブルクには有名なハイドンの弟ヨハン・ミヒャエル・ハイドンがいました。20歳ほど歳は離れていますが、ミヒャエルとヴォルフガングは堅い友情で結ばれていたようで、ミヒャエルの《死者のためのミサ曲(レクイエム)ハ短調》は、後にアマデウスの《レクイエムK.626》の下敷きとなるばかりでなく、《フリーメーソンのための葬送音楽K.477》で引用されています。
といっても、当時の引用やパロディとは、元の作曲者に敬意(リスペクト)を込めたものであることを忘れてはなりません。

モーツァルトの手紙や伝記を読むと、コロレード大司教との軋轢もあって、ザルツブルクはモーツァルトを縛り付けていたかのような印象を受けますが、彼の音楽の基礎には、ザルツブルク時代に身につけた音楽があります。次の章では、ザルツブルク時代の彼の宗教音楽について見ていくこととします。



Wolfgang Amadeus Mozart
(1756 Salzburg-1791 Wien

ドヴォルザーク《レクイエム》

生になって合唱を再開し、宗教音楽に目覚めた頃、家の中で古ぼけた楽譜を見つけました。母が昔、市民合唱団で歌っていた時のもののようです。外国語で書かれていた曲名ですが、すぐに分かりました。「Requiem…あ、レクイエムだ。」

当時の僕は、モーツァルトのレクイエムにぞっこんだったからです。けれども、見つけた古い楽譜の作曲者が分からない。「Dvorak…。ドヴォラク???」と埒があかないのです。でも、数は少ないけれど、自分のLPコレクションから、すぐに答えは見つかかりました。「ドヴォルザーク! へえ、ドヴォルザークにもレクイエムってあるんだな。」楽譜を読みこなせない当時の私には、その程度の認識でした。

その後、この作品が名曲であるらしいことを知った私は、当然レコードを探しましたが、カタログにはありません。でも、高二の冬、ついに憧れの曲を聴く時がやってきました。ロンドンレーベルから、ケルテス指揮のLPが発売されたのです。予約を入れてレコード屋へ走る。2枚組のボックスからレコードを出してターンテーブルに載せます。ゆっくりとピックアップを落とすと、聴こえてきたのは想像をはるかに超えた、深い音楽でした。

それから私は独学でピアノを少しだけ弾けるようになり、《レクイエム》の前奏を弾いたものです。前奏だけで、この曲の素晴らしさは分かります。しかも、その素晴らしさは曲の最後まで続きます。粘りのある作品です。もちろんその粘りには技巧的な裏付けがあります。それは循環主題の使い方の巧みさ。十字架の音型が死のテーマとして作品全体を貫いているのです。

その後、大学をやめて音大に入り直した私は、全曲を歌う機会に恵まれました。どっぷりとドヴォルザークに浸った年でした。でも、暗譜で臨んだ本番では、「Confutatis」のソプラノの歌い出しを一緒に歌ってしまいました(汗)。思い出すたびに顔が赤くなるような思いです。

私のお気に入りは写真の、アンチェル指揮チェコフィル盤。弦が何とも渋いのです。西欧のオケは音がきれいすぎます。
さて、このLPでは、ケルテス盤と同じく、「Tuba mirum」で鐘の音が入ります。鐘が入らない演奏もあり、Calmusのミニチュアスコアを見ても指示がないため、どうしたことかと悩んでいましたが、チェコのスプラフォンのミニチュアスコアには「ad libitum」で指示がありました。

アンチェル指揮チェコフィルのドヴォルザーク《レクイエム》独グラモフォンSLGM-1343-44(廃盤)

2009年9月20日日曜日

ミサ曲のつくりかた

ミサ曲の歴史について、ずっと書きたいと思ってきました。
しかし、そうした研究や書籍はすでに存在しています。
そこで考えた結果、もし今日の私たちがミサ曲を作曲したいと思ったら
どのように準備し、作曲するかという観点から
解説していったら面白いのではないかと発想しました。

まず、ミサ曲を作曲するための準備について考え
その次に個々の楽章をどのように作曲できるか
過去の作品を例に挙げながら解説していきます。

バッハ《ヨハネ受難曲》

このサイトの整理をしながら
久しぶりにバッハの《ヨハネ受難曲》BWV.245を聴いています。

私は高校生の時、受験に失敗しました。
その時、私の大きな慰めになったのが《ヨハネ》でした。
リヒター指揮の抜粋盤を何気なく聴いていて
終盤の「憩え安らけかに,聖なる御からだよRuht wohl, ihr heiligen Gebeine」で、
なぜだか涙があふれてきたのを今でも覚えています。

この曲の後には、
コラール「ああ主よ,汝の御使いに命じてAch Herr, lass dein lieb Engelein」が続きますが、
当時の私は、なぜコラールで締めくくるのか分かりませんでした。
私の辛い気持ちは、「憩え安らかにRuht wohl」でなだめられて終わり、
その余韻を次のコラールで壊さないで欲しいという思いがありました。

それが、驚いたことに、いまでは納得がいくのです。
というより、コラールがなくてはならないとまで思います。
不思議ですね。

何はともあれ、
《ヨハネ》から、私の「バッハ生活」はスタートしたと言ってもいいくらいです。

その後、リヒターの全曲盤CD、ブリュッヘンのCDと聴いてきましたが
今は、アーノンクールが気に入っています。

アーノンクールのバッハは、教会カンタータ全集や
《マタイ受難曲》の最初の盤から聴いてきましたが
乱暴さや粗雑さがだんだんなくなり、
それでいて劇的な表現は研ぎすまされてきているように感じます。

最後の2曲はすこしあっさりしすぎているように感じるかもしれません。
でも、この作品で苦しさを吐き出し乗り越えた私にとっては
かえって生々しくない方がいいのです。

アーノンクールの《ヨハネ受難曲》  ワーナー WPCS-4474

2009年9月18日金曜日

音楽修辞法について

17、18世紀の音楽を理解する上で、音楽修辞法、フィグーラの知識は有用ですし、演奏家にとっては不可欠でもあります。しかし、残念なことに日本語で読める資料がほとんどないので、解説していきたいと思います。

このプロジェクトは次のように進行します。

1.音楽修辞法について、定義や歴史などの概略を解説
2.修辞法の音型(フィグーラ)を個々に説明(文字のみ)
3.説明に対して、譜例を用意し、編集

今まで譜例の作成が面倒で手をつけられませんでしたが、後回しにしてでも
先へ進めたいと考えています。

《旧約聖書の音楽》

キリスト教のルーツであるユダヤ教は歌う宗教です。しかし、古代ユダヤ教の音楽実践の伝統は一度失われ、どのような音楽が演奏されていたかはほどんど分かっていません。このレコードは、無理を承知で、古代ユダヤ教の音楽を復活させた試みです。

私からすると、この演奏はヨーロッパ的に洗練されすぎているような気がしますが、それでも興味深いことにはまったく変わりありません。とりわけ、キリスト教でも盛大に奏される詩編150番、それに、ユダヤ教では葬儀に用いられるヨナタンを悼む歌は、このアルバム全体の白眉と言えるでしょう。
このアルバムは、音楽学者による研究の成果であることに加え、遺跡から発掘された楽器を復元している点で、資料としてまことに貴重です。

ここ数年、キリスト教の音楽を学ぶだけではなく、キリスト教の歴史や聖書についての仕事に携わってきた私にとって、ユダヤ教はまだ見ぬ故郷のような存在になりつつあります。

Musique de la Bible révélée(廃盤)
仏harmonia mundi france HMA 190 989

(2) 《ドイツ・レクイエム》との出逢い

《ドイツ・レクイエム》について考えるためには、ブラームスについて、あるいはロマン派について、さらにはドイツの宗教音楽について、ある程度の予備知識が必要となります。そこでここでは、ブラームスや彼の時代、また当時の宗教音楽について簡単に説明しておきたいと思います。
ただ、その前に、語り手である私torajiroが《ドイツ・レクイエム》とどのように出逢ったか、そして、なぜこの作品について考えをまとめてみようと思ったかについて触れさせてください。

■《ドイツ・レクイエム》との出逢い
私は高校生の頃、皆川達夫さんの『合唱音楽の歴史』を読んで、そこに挙げられている作品をすべて聴いてやろうと心に決めました。モーツァルトの《レクイエム》にはまっていた私は当然、有名な作曲家のレクイエムを片っ端から探し求めました。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》もその中の一つです。


行きつけのレコード店で《ドイツ・レクイエム》を探します。「あった! でも、2枚組。ということはお金が足りないや。」当時のLPレコードでは、この作品は1枚に収まり切れず、2枚組だったのです。ところが、1枚のレコードが見つかったのです。大喜びで買って帰りました。
わくわくしながらジャケットからレコードを取り出し、ターンテーブルに置きます。プレイボタンを押すと、自動的にアームが動いて盤面に降りていきます。期待が高まります。ところが、なんだかガサついた音がするではありませんか。雑音の奥の方から、やっとハーモニーが聞こえてくる感じです。ボリュームを上げると、雑音も大きくなるだけ。
結局、全曲を聴き通したものの、私の心は満たされませんでした。

その後分かったことですが、レコードはモノラル録音で、それだと盤に溝を刻む都合で、長い曲でも1枚に収まるらしいのです。このレコードの演奏は、ブルーノ・ワルター指揮のニューヨーク・フィル。これも後で知ったことですが、ワルターは名指揮者中の名指揮者です。ところが、若い私には、ブラームスもワルターも、そして《ドイツ・レクイエム》も、つまらないものにしか思えませんでした。

そして二十年後、ある合唱団で《ドイツ・レクイエム》を歌うことになりました。大学で宗教音楽学を研究した私は、《ドイツ・レクイエム》のCDをすでに何枚も聴き、嫌いではなくなっていました。ただ、いつも聴きたいレパートリーではなかったのも事実です。それが、人生の半分を終えた今、歌詞を読み直すと、かつて何も感じられなかったのが嘘のように、聖書の言葉が心に沁み入ったのでした。
感じ方が変わった最大の理由は、人生の労苦がいくらかでも分かる齢になったことでしょう。
それに加えて、仕事としてですが、この時期、聖書を集中して読んでいたことや、そんな状況の中で何人ものクリスチャンと知り合い、神や信仰について考え始めたことも大きいと思います。自分の人生観や死生観、また、宗教観や信仰が変化し成長したことで、宗教的な歌詞を持つ音楽の感じ方や理解の仕方も変わってきたということです。そうして歌詞にリアリティが感じられるようになり、この作品への取り組み方や表現の仕方もまた変わったように思います。

《ドイツ・レクイエム》から何を感じるかは人それぞれであり自由です。ただ、一つだけ言えるのは、ブラームスが、カトリックの型通りの「レクイエム」では飽き足らず、生きることと死ぬことの意味について深く考えたうえで創作に望んだに違いないということでしょう。作曲家が自発的に創作するようになった19世紀の西欧においては、宗教音楽も作曲家個人の世界観を映し出すものとなっていきました。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》は、そうした音楽作品の中でも記念碑的な作品だと私は考えています。

こんなわけで、《ドイツ・レクイエム》について考えることは、私にとって自分の音楽生活を振り返ることになるのですが、それはまた、この作品に馴染みのない方、どうも好きになれないという方を、理解と共感へと誘うためのささやかなお手伝いでもあります。私が、かつてはそうだったからです。

人の耳、音楽の耳は、年齢とともに、また経験とともに確実に変化成長を遂げます。このことを踏まえつつ、次の章では、ブラームスの活動した時代について、簡単に振り返っていくこととします。

《ドイツ・レクイエム》自筆譜(第1楽章の歌い出し)

翻訳者は裏切り者

この春は、イタリア語の翻訳の仕事をしていました。宗教、歴史、地理、芸術など広範囲に渡るテキストで、なかなかやりがいのある仕事でした。翻訳といえば、こんなことわざがイタリアにあるそうです。

「Traduttore, traditore 翻訳者は裏切り者」

音楽史上、私の知っている限りで最大の誤訳といえば、まず、コープランドCoplandの《アパラチアの春Appalachian Spring》が思い浮かびます。どこが誤訳ですって? それは「spring」には「春」だけでなく、「泉」という意味があると言えば分かるでしょう。
でも、この曲名は、後になって付けられたとか。それにもかかわらずコープランドの元には、「アパラアチア山脈の美しい春の様子が目に浮かびます」といった感想が多数寄せられたといいます。いや、「spring」をどう解釈するかという問題ですから、英語圏の人にとっては誤訳ではないですね。「spring」=「泉」と判明してから放置されている日本語の題名が、誤訳状態にあるというのが正確なところでしょうか。実は私も高校の音楽でこの曲を聴いた記憶があるのですが、すっかり騙されていました(笑)。

で、話を宗教音楽へと戻します。

もう10年以上も前のことですが、ハイドンHaydnのミサ曲を買いに行きました。CDを手に取るとケースには《Paukenmesse》と《Missa in tempre belli》とあります。前者はドイツ語で「太鼓ミサ」の意。後者は原題のラテン語です。さて、日本語表記を見ると「良き四季斎日のミサ曲」とありました。「うーん、たしかこの曲は《太鼓ミサ》か《戦時のミサ》って呼ばれてたんじゃなかったっけ」と疑問が生じます。

「belliはイタリア語のbellaで、美しい=良き、ってことなのかなあ」などと考えつつ、恩師であるスペイン人神父さまに話してみました。すると、すぐに問題解決。
どういうことかと言うと、「missa」はラテン語で、イタリア語だと「messa」。じゃ、当然、「belli」もラテン語。だとすると、「bellum(戦争)」の格変化で、「tempore」は「斎日」ではなく「時」の意味で、やっぱり《戦時のミサ》にしかならない。

そして、どうして、こんなミスが起きたのか調べてるために『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂)を引いてみると、「ビンゴ!」。この辞典からして間違っていたのです。

しかし、「戦時のミサ」が「良き四季斎日のミサ」となって、曲の聴こえ方が変わるとも思えないので、どうでもいいことなのかもしれませんね(笑)。今でもネットではこの誤訳が広まっているのを見るにつけ、気にはなるのですが…。

辞典の方は、その後、訂正されたかどうか、私は知りません。
(でも、とても便利な辞典であることは間違いないです)

そういえば、「鎮魂曲」というのも、誤訳だと思います。



バーンスタイン指揮
《戦時のミサ》

クレア・カレッジの《フランス合唱音楽集》

イギリスの大学には優れた聖歌隊が多いです。
ケンブリッジではキングス・カレッジが特に名高いのですが、このCDでは同じケンブリッジでもクレア・カレッジの聖歌隊が歌っています。ここは女声が参加しているのが、他と大きく違っています。
女声が歌っていても発声は完全な頭声発声で、澄み切ったトーンはさすがイギリスの伝統。フォーレの宗教曲にそれがピタリとはまって、静謐さとたおやかな雰囲気はまさに天国だと感じます。ラテン系のある神父さまに聴いてもらったところ、「発音がどうもね」などと憎まれ口を叩いてはいましたが、たしかに子音の発音は大人しすぎるかもしれません。
けれども、私にとっては部屋の取り出しやすいところに置いて、時々こっそり聴きたい名盤となっています。特にフォーレの《小ミサMesse basse》とモテットはクリスチャンでなくとも参ってしまうにちがいありません。



このCDの詳細と試聴はこちらから。

ラミレス《ミサ・クリオージャ》

私たちが親しんでいるミサ曲の多くは、カトリック教会のミサで唱えられるミサの通常文ordinariumに曲をつけたものです。その意義と歴史は別の機会に譲りますが、1962年の第2ヴァティアカン公会議で典礼刷新を受け、自国語によるミサ曲が作られるようになりました。日本では、故高田三郎さんの《やまとのささげうた》が知られています。

ここで紹介する《ミサ・クリオージャMisa Criolla》もその一つ。1964年に作曲され、67年には当時のローマ法王パウロ6世の前で演奏されたそうです。
作曲者のアリエル・ラミレスAriel Ramirezは1921年、アルゼンチンに生まれ、アルゼンチンとヨーロッパで学び、フォルクローレを生かした創作活動を行ってきました。

フォルクローレとは、元来は「民俗学」の意味ですが、日本では、ラテン・アメリカ民族音楽や、民族音楽に基づいた大衆音楽を意味することが多いようです。
アルゼンチンは南米の中でも白人の比率が多く、現地で生まれ育った白人は「クリオージョ(クリオージョ)」と呼ばれています。この作品の題名はそこに由来しています。

さて、このCDを演奏しているのは、ロス・カルチャキスというフォルクローレのグループですが、ここではアンデスの民族楽器が使われています。この曲は他にもいくつかのCDがリリースされていますが、作曲者ラミレスの意図に最も近いのが、この演奏と言われています。私自身も、この演奏がいちばんのお気に入りです。

ヴォーカルの甘い声、楽器のジャカジャカ感、そして何よりもアンデスの空気を感じさせる響きを楽しんでいただければ幸いです。

ラミレス《ミサ・クリオージャ》 仏アリオンARN64050

2009年9月17日木曜日

ミヒャエル・ハイドン《レクイエム》

《天地創造》で有名なハイドンには弟がいました。ミヒャエル・ハイドンMichael Haydn(1737-1806)です。ミヒャエルも兄と同じく早くから音楽の才能を発揮し、ヴィーンのコンヴィクト(今のウィーン少年合唱団)で学び、作曲家になり、ザルツブルクではモーツァルトの先輩として活動しました。
1771年、ザルツブルクの領主大司教であるシュラッテンバッハが亡くなり、その葬儀のために《レクイエム》(大司教シギスムンドの葬送ミサ曲Missa pro defuncto Archiepiscope Sigismundo)を書きました。

この作品は、モーツァルトの《レクイエム》(ニ短調、K.626)の原型の一つとも考えられています。入祭唱(Requiem aeternam)や奉納唱(Domine Jesu Christe)を聴くと、そのことが実感できるかと思います。またモーツァルトは《フリーメーソンのための葬送音楽》(k.477)では、この作品を直接引用しています。しかし、ミヒャエルの《レクイエム》は、モーツァルトとのつながりにおいてのみ価値があるというわけではありません。それも聴いてみればすぐに分かるはずです。

私は学生時代、今のオーストリアのミサ曲やレクイエムを研究していたので、この作品もさんざん聴きました。最初のLPは高校生の時、ヒグライナー指揮のモーツァルテウム管の演奏を秋葉原の石丸電気本店で買いました。大学生の時にはリリング指揮のCDを聴きこみました。それらも決して悪くはなかったのですが、ここで紹介する演奏は、私にとって心に染み入るような感動をもたらしました。冒頭の前奏からしっとりとした情感に満ちています。モーツァルトやハイドン兄が好きな方には特にお勧めです。

下記CDの視聴はこちら

Robert King指揮、The King's Consort他  英hyperion CDA67510(2CDs)

2009年9月13日日曜日

(1) ガリラヤ湖のほとりで

ここは、さわやかな風が吹き渡る丘。眼下には、湖水が日の光を受けてきらめいています。大勢の人々が丘を登ってきます。近ごろ評判になっている若いラビ(教師)の話を聞くために。老いも若きも男も女も耳を澄ませます。ラビは佇まいを正すと、丘の坂道に集う人びとに向かって、温かな声で朗々と語り始めます。(注1)

「トゥウベーオン……。」(注2)

一同は、その言葉に腰を抜かすほど驚いたはずです。なにしろ、絶望している者、悲しんでいる者こそ神様から祝福されるというのですから。けれども、その言葉は、砂漠に泉の水が染み込むように集まった人たちの心に入っていったに違いありません。

このラビ、ナザレ村に育った大工の息子、イェホシュアという男は、後にイエス・キリストと呼ばれることになります。(注3)



ガリラヤ湖


ヨハネス・ブラームスJohannes Brahms(1833-97)は、この「山の上の教え」(山上の垂訓)の一節を《ドイツ・レクイエムein deutsches Requiem》op.45の歌い出しの歌詞に選びました。

Selig sind, die da Leid tragen, denn sie sollen getröstet werden.
幸せだ、悲しみを抱く者たちは、なぜなら、彼らは慰められるからだ。
(マタイによる福音書5:4 筆者訳)

《ドイツ・レクイエム》は、こうして、かけがえのない者の死に対する悲しみが、やがて慰められ癒されることを穏やかに告げ知らせて始まります。クリスチャンならば、この一節を聞いただけで、はじめに描写したように、イエスがガリラヤ湖を臨む丘の上で群衆に説教したことを思い出すはずです。そして、教会音楽に関心のある方ならば、この作品が、従来の「レクイエム」、つまり、死者の安息を神に祈るための音楽ではなく、生き残って悲しむ者を癒しへと誘う音楽であることを理解するでしょう。

では、ブラームスが《ドイツ・レクイエム》で表現しようとした「癒し」とは、どのようなものであり、どのように音楽化されているのでしょうか。これが、このささやかな小論のテーマです。そこで、そうしたテーマについて考察を進めていく前に、基本的な知識と問題意識を共有しておきたいと思います。

まず、《ドイツ・レクイエム》に馴染みのない人のために、あるいは、いっそう共感したいという人のために、まず、必要最小限の情報を紹介しておきましょう。まず、音楽そのものを聴いていなければ理解も議論もありません。CDはいくつも出ていて、入手は決して難しくはありませんが、あえて1枚紹介するとすれば、ヘレヴェッヘ指揮の演奏です。

ブラームス:ドイツ・レクイエム op.45
ヘレヴェッヘ指揮、シャンゼリゼ管弦楽団、シャペル・ロワイヤル、コレギウム・ヴォカーレ他(仏Harmonia Mundi HMG501608)











それから、すぐには買えないけれど、今すぐ聴きたい人は、演奏の質と音質にこだわらなければ、こちらから全曲を聴くことができます。 

無料の楽譜(ヴォーカルスコア)を読みたい人は、こちらからダウンロードできます。


ブラームスの生涯と作品の概略を知りたい人はこちらを読んでください。

それから、《ドイツ・レクイエム》の歌詞全文と日本語訳を示しておきましょう。訳は日本語訳聖書の転載ではなく、できるかぎりドイツ語の意味を活かした訳としています。

●第1楽章
Selig sind, die da Leid tragen,
幸せだ、悲しみを抱く者たちは、 
denn sie sollen getröstet werden.
なぜなら、彼らは慰められるからだ。
(マタイによる福音書5:4)

Die mit Tränen säen,
涙とともに種を蒔く者は、
werden mit Freuden ernten.
喜びのうちに収穫するようになる。
Sie gehen hin und weinen und tragen edlen Samen,
彼らは出て行く、泣きながら、尊い種を携えて、
und kommen mit Freuden und bringen ihre Garben.
そして喜びとともに、束を抱えて戻ってくる。
(詩編126:5,6)

●第2楽章
Denn alles Fleisch ist wie Gras
肉体はすべて草のようであり
und alle Herrlichkeit des Menschen
また、ひとの栄華はすべて
wie des Grases Blumen.
草の花のようだ。
Das Gras ist verdorret
草は枯れ、
und die Blume abgefallen.
そして花は散る。
(ペトロの手紙一1:24)

So seid nun geduldig, lieben Brüder,
だから今は耐えるのだ、愛しい兄弟たちよ、
bis auf die Zukunft des Herren.
主の未来(来臨のこと)まで。
Siehe, ein Ackermann wartet
見なさい、ひとりの農夫が待っている、
auf die köstliche Frucht der Erde
大地の価値ある実りを、
und ist geduldig darüber,
そして彼は辛抱強い、  
bis er empfahe den Morgenregen und Abendregen.
朝の雨と夕べの雨を迎えるまで。
(ヤコブの手紙5:7)

Denn alles Fleisch ist wie Gras
肉体はすべて草のようであり
und alle Herrlichkeit des Menschen
また、ひとの栄華はすべて
wie des Grases Blumen.
草の花のようだ。
Das Gras ist verdorret
草は枯れ、
und die Blume abgefallen.
そして花は散る。
Aber des Herrn Wort bleibet in Ewigkeit.
しかし、主の言葉は永遠に残る。
(ペトロの手紙一1:24,25)

Die Erlöseten des Herrn werden wieder kommen,
主に救われた人は戻り来て、
und gen Zion kommen mit Jauchzen;
そして歓呼とともにシオンへと来る。
ewige Freude wird über ihren Haupte sein;
永遠の喜びが彼らの頭上にあり、
Freude und Wonne werden sie ergreifen
喜びと歓喜が彼らを迎え
und Schmerz und Seufzen wird weg müssen.
嘆きと悲しみは去って行く。
(イザヤ書35:10)

●第3楽章
Herr, lehre doch mich,
主よ、私に教え給え、
daß ein Ende mit mir haben muß,
私に終わりがあることを、
und mein Leben ein Ziel hat,
私の命に最期があることを、
und ich davon muß.
そして私がそこから去らなければならないことを。
Siehe, meine Tage sind einer Hand breit vor dir,
ご覧あれ、私の日はあなたの前では手の幅ほどのもの、
und mein Leben ist wie nichts vor dir.
私の命はあなたの前では無いようなもの。
Ach, wie gar nichts sind alle Menschen,
ああ、すべての人は何とむなしいことか、
die doch so sicher leben.
彼らはたしかに生きているとしても。
Sie gehen daher wie ein Schemen,
彼らは影のようにさまよい、
und machen ihnen viel vergebliche Unruhe;
多くの空しい騒ぎを引き起こす。
sie sammeln und wissen nicht,
彼らは蓄えながら知らないのだ、
wer es kriegen wird.
それが誰のものになるかを。
Nun Herr, wes soll ich mich trösten?
では主よ、私は何を慰めとすればいいのか?
Ich hoffe auf dich.
私はあなたに望みをかける。
(詩篇39:5-8)

Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand
正しい者の魂は神の御手にあって
und keine Qual rühret sie an.
いかなる苦痛も届くことはない。
(知恵の書3:1)

●第4楽章
Wie lieblich sind deine Wohnungen,
あなたの住まいはなんと愛らしいことか、
Herr Zebaoth!
万軍の主よ!
Meine Seele verlanget und sehnet sich
私の魂は切に望み憧れる
nach den Vorhöfen des Herrn;
主の前庭に対して。
mein Leib und Seele freuen sich
私の体と魂は喜ぶ、
in dem lebendigen Gott.
生きている神の前に。
Wohl denen, die in deinem Hause wohnen,
幸福な人だ、あなたの家に住む人、
die loben dich immerdar.
あなたを常に賛美する人は。
(詩篇 84:2,3,5)

●第5楽章
Ihr habt nun Traurigkeit;
今あなたたちは悲しんでいる。
aber ich will euch wieder sehen
しかし、私は再びあなたたちと会う
und euer Herz soll sich freuen,
するとあなたたちの心は喜び、  
und eure Freude soll niemand von euch nehmen.
喜びは誰からも奪われることはない。
(ヨハネによる福音書16:22)

Sehet mich an:
私を見よ。 
Ich habe eine kleine Zeit
私はわずかな時間を
Mühe und Arbeit gehabt
骨折りと労苦にかけるだけで
und habe großen Trost funden.
大きな慰めを見いだした。
(シラ書51:27)

Ich will euch trösten,
私はあなたたちを慰めよう、
wie einen seine Mutter tröstet.
母親が子どもを慰めるように。
(イザヤ書66:13)

●第6楽章
Denn wir haben hie keine bleibende Statt,
ここには私たちの永遠の地はなく、
sondern die zukünftige suchen wir.
来るべき地を探し求めている。
(ヘブライ人への手紙13:14)

Siehe, ich sage euch ein Geheimnis:
見よ、私はあなたたちに奥義を話そう。
Wir werden nicht alle entschlafen,
私たちは皆眠るのではなく、
wir werden aber alle verwandelt werden;
それどころか、まったく変えられるのである。
und dasselbige plötzlich, in einem Augenblick,
そのとき突然、瞬く間に、
zu der Zeit der letzten Posaune.
最後のラッパの時のことだ。
Denn es wird die Posaune schallen,
つまり、ラッパが鳴り響くと、
und die Toten werden auferstehen unverweslich
死者は朽ちることのない者として復活し
und wir werden verwandelt werden.
私たちは変えられるのである。
Dann wird erfüllet werden das Wort,
そのとき、言葉が成就する、
das geschrieben steht:
それは書かれた言葉だ。
Der Tod ist verschlungen in den Sieg.
死は勝利のうちにのみこまれた。
Tod, wo ist dein Stachel?
死よ、どこにおまえの刺があるのか?
Hölle, wo ist dein Sieg?
地獄よ、どこにおまえの勝利があるのか?
(コリント人への手紙一15:51,52,54)

Herr, du bist würdig
主よ、あなたはふさわしい
zu nehmen Preis und Ehre und Kraft,
賛美と誉れと力を受け取るのに、
denn du hast alle Dinge erschaffen,
なぜなら、あなたは万物を創造し、
und durch deinen Willen haben sie das Wesen
また、万物はあなたの意思で存在し、
und sind geschaffen.
生み出されたのだから。
(ヨハネの黙示録4:11)

●第7楽章
Selig sind die Toten,
幸せだ、死者は、
die in dem Herrn sterben, von nun an.
主のうちに死ぬ者は、今より後に。
Ja, der Geist spricht,
そうだ、と聖霊は言う、
daß sie ruhen von ihrer Arbeit;
彼らは労苦から解き放たれる、と。
denn ihre Werke folgen ihnen nach.
彼らの業が後からついてくるのだから。
(ヨハネの黙示録14:13)

注1)「ラビ」は、ユダヤ教のおける宗教的指導者・学者のこと。イエスの活動は、ユダヤ教内での改革運動として始まった。
注2)アラム語聖書に基づく。「彼らは幸せだ」の意。ただし、イエスはヘブライ語で語った可能性もあり、その場合は「アシュレー」かもしれない。
注3)イェホシュアをギリシャ語にするとイエスースとなり、ラテン語ではイエズス(呼びかける場合はイエズ)となる。キリストとは、ギリシャ語のクリストスが語源で、「油を注がれし者」(=王ないし救い主)の意。