tag:blogger.com,1999:blog-70857207372491889642024-03-22T13:37:32.511+09:00Musica Sacra Japan宗教音楽学の冒険torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.comBlogger32125tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-87596093133947356272009-10-22T22:24:00.001+09:002009-10-22T22:38:00.129+09:00ミヒャエル・ハイドンのミサ曲(1)「ミサ曲のつくりかた」のための下書きとして、昔書いた論文をアップしておきたいと思います。読み直しと手直しをしながらになります。<br />
ちなみに、ミヒャエル・ハイドンMichael Haydnは、1737年生まれのオーストリアの作曲家で、有名なハイドンの弟。ザルツブルクで活動し、モーツァルトにも影響を与えています。<br />
<br />
第1章 ミヒャエル・ハイドン当時のウィーン・ザルツブルクのミサ曲<br />
<br />
キリストとその弟子たちとの最後の晩餐を記念して執り行なわれる感謝の典礼がミサ聖祭である。Jungmannによれば、ミサ聖祭は常に賛美、感謝、嘆願、それに贖いといった基本的な目的を備えていた。(注1) ミサ聖祭においては、その初期から音楽が重要な役割を果たしていた。その中でも、日曜日や多くの祝祭日に共通する言葉(通常文)から聖歌隊により歌われるようになったもの(通常唱)、すなわち、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイの5章は「ミサ曲」という1つの曲種として確立された。ミサ曲は、演奏の場であるミサ聖祭の在り方に左右される。それゆえ、ここでは、ミヒャエル・ハイドン当時、すなわち18世紀中葉から終わりにかけてのウィーン・ザルツブルクにおけるミサ聖祭の状況、及びミサ曲の音楽様式について踏まえておきたい。本章は、ミヒャエル・ハイドンのミサ曲研究に当たってのいわば「歴史的背景」であり、彼のミサ曲分析に際しての観点、指標も示されよう。<br />
<br />
第1節 典礼におけるミサ曲<br />
18世紀のウィーン・ザルツブルクにおいてミサ曲が演奏される場は、教会あるいは修道院で催されるミサ聖祭のみであった。(注2)そのミサ聖祭には、日曜日や特定の祝日に執り行なわれるものの他に、信者が自発的に捧げる「随意ミサMissa votiva(ラテン語)、Lobamter(ドイツ語) 」があった。これらのミサ聖祭には、ミサ曲以外にも多くの音楽が含まれていた。こうした歌ミサ(Missa cantata)の構成は、以下のように纏められる。<br />
<br />
表1-1 18世紀ローマ・カトリックの歌ミサ(注3) →<a href="http://www.musicasacrajapan.org/MusicaSacraJapanBlog/wp-content/uploads/mass.pdf">PDFファイルを見る</a><br />
<br />
18世紀のウィーン・ザルツブルクのミサ聖祭における音楽の演奏は次のように行われていた。(括弧内の番号は上記の表1-1の番号と一致する。)<br />
<br />
1.ミサ聖祭の前にオルガン・プレリュード、続いてトランペットとティンパニーのためのイントラーダが演奏される。<br />
2.Asperges me 、Tantum ergo 、Vidi aquam(1)はグレゴリオ聖歌、もしくは多声楽曲。<br />
3.入祭唱(2)はグレゴリオ聖歌によることが多い。<br />
4.キリエ(3)、グローリア(4)。<br />
5.昇階唱(7)の箇所では器楽曲が演奏される習慣があった。1780年代までは「書簡ソナタSonata all'Epistola(注4) 」、また、交響曲(“Sinfonia da Chiesa ”(注5) )が演奏された。1780年代の典礼音楽刷新政策の過程で、そうした器楽曲に替わって多声の聖歌が歌われるようになった。<br />
6.アレルヤ唱、詠唱、続唱(8)はグレゴリオ聖歌、もしくは多声楽曲。<br />
7.福音書朗読(9)の後でイントラーダが演奏されることもあった。<br />
8.クレド(11)。<br />
9.奉納唱(12)はモテット、もしくは器楽曲となる。<br />
10.サンクトゥス(15)は、聖変化を間に、“Sanctus ”と“Benedictus”の2楽章となる。<br />
11.聖体奉挙の箇所でオルガンが演奏される。<br />
12.アニュス・デイ(19)。<br />
13.聖体拝領唱(20)はグレゴリオ聖歌、もしくは多声楽曲。<br />
14.Ite, missa est(22)はグレゴリオ聖歌。<br />
15.ミサの後でオルガンのポストリュード、続いてイントラーダが演奏される。<br />
<br />
以上のことから、当時のウィーン・ザルツブルクのミサ聖祭が一種の「コンサート」の様相を示していたことがわかる。しかし、こうした音楽の在り方は一定不変であったわけではなく、その時、その場所での教会、政治権力者の典礼に対する神学・思想上の姿勢、また政治・経済面からの要請により変化するものであったことに注意しなければならない。そこで18世紀中葉以降のミサ聖祭に関する諸法令、諸禁令を踏まえておきたい。<br />
1749年2月19日、ローマ教皇ベネディクト14世は、回勅《Annus qui 》を発布した。それによれば典礼における音楽の役割とは「信者の心に祈りと信仰を呼び起こす」ことであり、そのためには「世俗的、また劇場的に聴こえない」こと、さらに「言葉が完全に」(注6) 聴こえることが主張されている。これらの目的を達するための具体的手段として、ティンパニー、ホルン、トランペット、フルート、プサルテリー、リュートといった劇場で使用されていた楽器を禁じている。教会が危険視していたのは、ナポリ派のオペラの音楽様式であり、その様式は実際、アレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725) らによって、ミサ曲にも導入されていたのである。この回勅を受けて、まずウィーンの大司教顧問室Konsistoriumが1753年12月24日、続いて宮廷が宮廷訓令Hofreskript の形で、トランペットとティンパニーの礼拝と行列での使用禁止を命じたが、この禁令は1767年に解除されるまでの間、それほど厳格には守られなかったようである。また、この禁令は、ミサ聖祭においては、イントラーダにのみ適用されたのかもしれない。(注7) <br />
18世紀は「啓蒙主義」の世紀であった。一方、18世紀のローマ・カトリックの典礼、とりわけ荘厳なミサ聖祭においては、会衆は出席はしているものの、理解不能なラテン語による華麗な出来事の「観衆」に過ぎなかった。そこでウィーンではヨーゼフ2世、ザルツブルクではコロレード大司教といった2人の啓蒙君主が、教会音楽の刷新に乗り出すこととなる。<br />
ヨーゼフ2世(1741-90)は、1764年に戴冠して母マリア・テレジアと共にオーストリアの統治者となり、1780年にマリア・テレジアが没すると名実共にオーストリア皇帝の座に就いた。当時のオーストリアは、オスマン・トルコとの長期に亘る戦争により経済的に疲弊し、フランス革命の余波を被りかねない状況にもあった。そうした中でヨーゼフ2世は、政治、経済、宗教他多方面での改革を推進していく。その土台となったのが「ヨーゼフ主義Josephinism 」である。ヨーゼフ主義は、啓蒙思想のオーストリア的表明であると共に、国家とローマ・カトリック教会の力関係を変え、国家主導とすることを目指すものであった。(注8) 教会音楽に関する改革の中には、祝祭日の削減(47日から27日へ)、楽器使用の制限(トランペットとティンパニー)、会衆の典礼参加(自国語聖歌の導入)が含まれている。1783年2月25日付(同年4月20日より発効)の宮廷訓令Hofrescriptは、次のように命じている。<br />
<br />
「聖シュテファン大聖堂及び聖歌隊を常備している教会においては、ミサは毎日執り行なわれる。これは季節に応じてオルガン伴奏付、あるいは無しの、歌われるミサである。」<br />
「日曜日と祝日においては、盛儀ミサは各教区の教会で、器楽の参加により執り行なわれる。また、楽器が入手不可能ならば、歌われる。」(注9) <br />
<br />
ヨーゼフ2世は啓蒙主義の立場から、ミサ聖祭への会衆の参加と理解をを目的として、自国語、すなわちドイツ語によるミサ聖祭を推進する。それは、ミサ聖祭自体は以前の構成(表1-1を参照)に拠りながら、これまでは聖歌隊が歌っていた通常唱を会衆が歌うようにする、といった刷新であった。この「ドイツ・ミサ」のために幾つかの聖歌集が新たに作られたが、その中で最も好まれたのが、フランツ・ゼーラフ・コールブレンナーFranz Seraph Kohlbrenner(1728-83)の聖歌集(Landshut,1777)であった。<br />
ザルツブルクにおいても、啓蒙主義を信奉するヒエロニムス・コロレードが、1772年に領主大司教に着任し、ヨーゼフ2世と同一歩調をとりつつ教会音楽の改革を推進していった。それは、ミサ聖祭自体の時間短縮に伴うミサ曲の時間制限に始まり、1783年には書簡と福音書の朗読の間の昇階唱における器楽曲「書簡ソナタ」の代わりに合唱曲を置くことを命じ、さらにはドイツ・ミサの導入に至る一連の改革となった。モーツァルト、ミヒャエル・ハイドンはその時間制約に従ってミサ曲を書き、昇階唱の聖歌とドイツ・ミサの作曲を命じられたのはミヒャエル・ハイドンであった。<br />
しかしこれらの諸改革も、オーストリアではヨーゼフ2世の死(1790)、ザルツブルクではナポレオン軍の占領(1800)を以て終わりを迎えるのであった。それでは以上の状況を踏まえた上で、典礼においてミサ曲が具体的にとる形態について考察したい。<br />
ミサ曲の分類に際しては、一般に、通常の日曜日、または小さな教会のための「ミサ・ブレヴィスmissa brevis(短かいミサ)」と、荘厳に祝われる祝祭日や特別の機会のための「ミサ・ソレムニスmissa solemnis(荘厳ミサ)」の用語が使用されてきた。しかし、典礼用語としてのミサ・ソレムニスは、全ての言葉が歌われる「歌ミサ missa cantata」を意味し、その対義語は言葉全てが朗読される「読誦ミサ missa lecta」である。実際、ミサ曲の当時の分類法では、これらの用語は使用されていなかった。それゆえ、今日の視点からミサ曲を考察するに当たっても、これらの用語法は吟味する必要がある。<br />
18世紀ウィーン・ザルツブルクの典礼法規、主題目録、音楽理論書、音楽辞典における分類、それに楽譜に記された題名を見れば、当時のミサ曲が、演奏の機会(祝日の名、「主日の de Dominica」)、編成(「声のvokale」)、様式(「対位法による in cotrapunto」)、また長さ(「短かいbrevis」)といった様々な基準により命名、分類されていたことがわかる。(注10)実際、ミサ曲の在り方そのものも、それが作曲された時期、それに演奏が意図されていた場所の習慣により、多様であった。<br />
上記の問題点を踏まえた上で、MacIntyreは、当時のウィーンにおけるミサ・ブレヴィスとミサ・ソレムニスの音楽上の一般的特徴を次のようにまとめている。(注11)<br />
<br />
〈ミサ・ブレヴィス〉<br />
・各通常唱内の楽章数が少ない。多歌詞といった手段で楽曲の短縮化がなされる。<br />
・教会トリオ(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、オルガン)を核とする小編成。<br />
・合唱主体で独唱は合唱に組み込まれる。<br />
〈ミサ・ソレムニス〉<br />
・各楽章が合唱、アリア、重唱、フーガといった幾つかの曲目から成る、いわゆる「カンタータ・ミサ」の形をとる。<br />
・トランペットとティンパニーを伴う、大編成のオーケストラ。<br />
・通常ハ長調による。<br />
<br />
しかし、これらの特徴は決して固定的でも排他的でもないことに注意しなければならない。18世紀後半のウィーンでは、典礼の簡素化、また音楽上の趣味の変化により、ミサ・ソレムニスの楽章数は減少する傾向にあった。ミサ・ソレムニスの楽章構成に、ミサ・ブレヴィスのそれが導入されたのである。ザルツブルクにおいても、ミサ・ソレムニスの「ミサ・ブレヴィス化」、ないしはミサ・ブレヴィスの拡大が、典礼上の要請を契機に行われていた。1772年、病死したシギスムント・シュラッテンバッハSigismund Christoph Schrattenbach の後任としてザルツブルクの領主大司教に着任したヒエロニムス・コロレードHieronymus Colloredo は、教会音楽の刷新に取り組んだ。彼がまず命じたのは、ミサ曲の時間短縮であった。それは1776年9月4日付のボローニャのマルティーニ神父宛のW.A.モーツァルトの書簡からも明らかである。<br />
<br />
「キリエ、グローリア、クレド、ソナータ・アレピストラ、オッフェルトリオ、あるいはモテット、サンクトゥス、それにアニュス・デイのすべてを含むミサ、さらにもっとも荘厳なミサですら、大司教御自身がじきじきに取りおこないますときには、一番長くてさえ45分以上にわたって続いてはならないのです。この種の作曲には特別な勉強が必要であります。それにあらゆる楽器-軍隊用トランペット、ティンパニ等を伴ったミサ曲であることが要求されます。」(注12)<br />
<br />
ザルツブルクにおけるこうした短かいながらもトランペットとティンパニを伴うミサ曲は、“Missa brevis et solemnis”と呼ばれていたことが、Walther Sennの研究により明らかとされている。(注13)次に示すモーツァルトのミサ曲の小節数、編成の表中の下線を付したミサ曲を参照されたい。<br />
<br />
(ここで編集が息切れです。続く)torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com10tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-61288903642247250002009-10-22T19:16:00.002+09:002009-10-22T19:22:20.566+09:00音楽には宗教的な力がある夕焼け小焼けで日が暮れて<br />
山のお寺の鐘が鳴る<br />
お手々つないでみな帰ろう<br />
からすといっしょにかえりましょ<br />
<br />
誰でも知ってる《夕焼け小焼け》(仲村雨紅作詞、草川作曲)の歌詞です。<br />
これが、宗教音楽と何の関係があるのかって?<br />
では、この歌詞を人生になぞらえてみてください。<br />
<br />
「夕焼け」とは人生の黄昏です。<br />
最期を間近にして「山のお寺」で諸行無常の鐘が鳴ります。<br />
そして、みな一緒に彼岸へと「帰ろう」、<br />
さらに、「からす」も含めて<br />
生きとし生けるものも平等に最期の時を迎えようという想いが<br />
自然に胸の底から湧いてくるようになります。<br />
<br />
このように仏教的な読み方ができるのですが<br />
ちょっと牽強付会でしょうか?<br />
(この読み方は、宗教学者の山折哲雄さんもどこかで紹介されてます)<br />
<br />
けれども、もしお年寄りが、<br />
《夕焼け小焼け》にこうした含みを感じて歌うのなら<br />
それは、死を迎える振る舞いの一つとして、<br />
私たち、あとに続く者は、<br />
ともに歌いたいと思うのです。<br />
<br />
私の中で、宗教音楽学とはこのように、<br />
音楽に隠された宗教的な力を明らかにすることで<br />
ひとが心を癒したり、他者と感情を分かち合うことを<br />
促していくための研究でもあります。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgHXYu97NT7mtabsRM3IV8roUrmFbgLr1PlJeCCPIWSvvKSdvQTcizG9o_tb2N3rJgr4ImTiPol82rGIWmYWgaBmrsvv4B4SDyZ8bV_aa-rR51DVMCmr0zK8jZFBSS5w_t2whZs6uFWgI/s1600-h/blackandwhite.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhgHXYu97NT7mtabsRM3IV8roUrmFbgLr1PlJeCCPIWSvvKSdvQTcizG9o_tb2N3rJgr4ImTiPol82rGIWmYWgaBmrsvv4B4SDyZ8bV_aa-rR51DVMCmr0zK8jZFBSS5w_t2whZs6uFWgI/s320/blackandwhite.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-20645726384634868112009-10-21T15:30:00.005+09:002009-10-22T18:43:22.392+09:00Musica Sacra JapanへようこそMusica Sacra Japanへようこそいらっしゃいました。<br />
<br />
Musica Sacraとは、聖なる音楽、つまり宗教音楽のことを言います。<br />
本サイトでは、宗教的な音楽はもちろん、音楽の持つ宗教的な力についても、宗教音楽学の視点から、楽しみながら考えて参ります。<br />
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。<br />
<br />
また、本サイトは、立案中のオンライン形式の「宗教音楽辞典」のための覚え書きという存在理由もあります。辞典の作成に加わりたいという方は、どうぞご連絡ください。<br />
宗教音楽の演奏会の告知なども歓迎いたします。 <br />
<br />
管理人torajiro<br />
<br />
<br />
イスラエル出土のランプ(2世紀頃 レプリカ) <br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br />
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiTwtw5E71rItcL5Ln7FBZkuBxeb4UPTcFweGi1nv0f2zJJdLAl37eFY5Q-t7BqB24HGZnEXt4bklhcMdNwPb0ZcOCI874n50-3NMW5LDiBgRC2KD4VwTgoqTzXp07Px3hOgiz3xJZvbY0/s1600-h/lamp.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiTwtw5E71rItcL5Ln7FBZkuBxeb4UPTcFweGi1nv0f2zJJdLAl37eFY5Q-t7BqB24HGZnEXt4bklhcMdNwPb0ZcOCI874n50-3NMW5LDiBgRC2KD4VwTgoqTzXp07Px3hOgiz3xJZvbY0/s320/lamp.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-45559884221943243052009-10-16T00:30:00.001+09:002009-10-21T19:11:50.105+09:00(2)ミサ通常文対訳書きかけですがアップしておきます。<br />
ミサ通常文の対訳です(torajiro訳)<br />
<br />
◇キリエKirie◇<br />
Kyrie eleison.<br />
主よ、憐れんでください。<br />
Christe eleison.<br />
キリストよ、憐れんでください。<br />
Kyrie eleison.<br />
主よ、憐れんでください。<br />
<br />
◇グローリアGloria◇<br />
Gloria in excelsis Deo.<br />
いと高きところには神に栄光がありますように<br />
et in terra pax hominibus bonae voluntatis.<br />
そして地では善意の人々に平和がありますように。<br />
Laudamus te. <br />
私たちはあなたを誉めます。<br />
Benedicimus te.<br />
あなたを祝福します。<br />
Adoramus te. <br />
あなたを拝します。<br />
Glorificamus te.<br />
あなたを崇め奉ります。<br />
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.<br />
あなたに感謝をささげます、あなたの大いなる栄光のゆえに。<br />
Domine Deus, Rex caelestis, Deus Pater omnipotens.<br />
神である主よ、天の王よ、全能の父なる神よ。<br />
Domine Fili unigenite, Jesu Christe.<br />
唯一の御子である主よ、イエス・キリストよ。<br />
Domine Deus, Agnus Dei, Filius Patris.<br />
神なる主よ、神の子羊よ、父の御子よ)<br />
Qui tollis peccata mundi, miserere nobis.<br />
世の罪を取い除いてくださる方よ、私たちを憐れんでください。<br />
Qui tollis peccata mundi, suscipe deprecationem nostram.<br />
世の罪を取り除いてくださる方よ、私たちの願いを聞き入れてください。<br />
Qui sedes ad dexteram Patris, miserere nobis.<br />
父の右に座すお方よ、私たちを憐れんでください。<br />
Quoniam tu solus sanctus,<br />
なぜなら、あなただけが聖なる方であり、<br />
Tu solus Dominus, Tu solus altissimus,<br />
あなただけが主であり、あなただけがいと高き方なのだから、<br />
Jesu Christe.<br />
イエス・キリストよ。<br />
Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris.<br />
聖霊とともに父なる神の栄光のうちに。<br />
Amen.<br />
アーメン。<br />
<br />
◇クレドCredo◇<br />
Credo in unum Deum.<br />
私は唯一の神を信じます。<br />
Patrem omnipotentem,<br />
全能の父を、<br />
factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium.<br />
天と地、見えるものと見えないものを作られた方を。<br />
Et in unum Dominum Jesum Christum,<br />
そして唯一の主であるイエス・キリスト、<br />
Filium Dei unigenitum.<br />
神の唯一の子を。<br />
Et ex Patre natum ante omnia saecula.<br />
そして、世のすべてのものより前に父から生まれた方を。<br />
Deum de Deo, lumen de lumine, Deum verum de Deo vero.<br />
神の中の神、光の中の光、本当の神の中の本当の神を。<br />
Genitum, non factum, consubstantialem Patri:<br />
作られること無く生まれ、父と一体である方、<br />
per quem omnia facta sunt.<br />
万物の造り主である方を。<br />
Qui propter nos homines,<br />
私たち人間のために<br />
et propter nostram salutem descendit de caelis.<br />
そして私たちの救いのために天から下られた方を。<br />
Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine:<br />
そして聖霊によって聖母マリアから肉体を受け、<br />
et homo factus est.<br />
人間となられた方を。<br />
Crucifixus etiam pro nobis:<br />
私たちのために十字架にかけられ、<br />
sub Pontio Pilato passus, et sepultus est.<br />
ポンツィオ・ピラトのもとで苦しみを受け、葬られた方を。<br />
Et resurrexit tertia die, secundum Scripturas.<br />
そして聖書に書かれている通り、三日目に蘇られた方を。<br />
Et ascendit in caelum: sedet ad dexteram Dei Patris.<br />
そして天に昇り、父なる神の右に座られた方を。<br />
Et iterum venturus est cum gloria,<br />
そして再び栄光とともに世に来られ、<br />
judicare vivos et mortuos:<br />
生きる者と死んだ者を裁く方を。<br />
Et in Spiritum Sanctum, Dominum, et vivificantem:<br />
そして聖霊、すなわち、主、また生命を与えてくださる方、<br />
qui ex Patre Filioque procedit.<br />
父と子から出て来られた聖霊を。<br />
Qui cum Patre et Filio simul adoratur, et conglorificatur:<br />
父と子と共に、拝され、あがめられる聖霊であり、<br />
qui locutus est per Prophetas.<br />
預言者を介して語られた聖霊を。<br />
Et unam sanctam catholicam et apostolicam Ecclesiam.<br />
そして、唯一の、聖なる、公の使徒継承の教会を。<br />
Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum.<br />
私は罪の赦しとなる唯一の洗礼を認めます。<br />
Et exspecto resurrecationem mortuorum.<br />
そして私は待ち望みます、死者の復活を。<br />
Et vitam venturi saeculi.<br />
また来たる世の生命を。<br />
Amen.<br />
アーメン。<br />
<br />
◇サンクトゥスSanctus◇<br />
Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus Deus Sabaoth.<br />
聖である、聖である、聖である、万軍の神なる主は。<br />
Pleni sunt caeli et terra gloria tua.<br />
天と地はあなたの栄光に満ちています。<br />
Hosanna in excelsis.<br />
いと高きところにオザンナ。<br />
Benedictus qui venit in nomine Domini.<br />
主の御名によって来られる方は誉めらるべき。<br />
Hosanna in excelsis.<br />
いと高きところにオザンナ。<br />
<br />
◇アニュス・デイAgnus Dei◇<br />
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: miserere nobis.<br />
世の罪を取り除かれる神の子羊よ、私たちを憐れんでください。<br />
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: miserere nobis.<br />
世の罪を取り除かれる神の子羊よ、私たちを憐れんでください。<br />
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: dona nobis pacem.<br />
世の罪を取り除かれる神の子羊よ、私たちに平安をお与えください。<br />
<br />
我が家のお姫様チビコ<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh83CQuWygYUKV4-uTbJBH6pWFltqVYj_ZXrbss5Ip-L1mLBIwVf2f-gEkDZChAvLwmx3EbDcC3qkf4IXULHjWYjEq4yO9UUlhtntustylp_9xeax5EMRs76jfIjYL1_bT4L7dAhJr7RLM/s1600-h/DSC03194.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh83CQuWygYUKV4-uTbJBH6pWFltqVYj_ZXrbss5Ip-L1mLBIwVf2f-gEkDZChAvLwmx3EbDcC3qkf4IXULHjWYjEq4yO9UUlhtntustylp_9xeax5EMRs76jfIjYL1_bT4L7dAhJr7RLM/s320/DSC03194.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-27031550230080748952009-10-15T02:18:00.004+09:002009-10-21T18:05:40.845+09:00(1)はじめに全国のミサ曲フリークの皆さん、こんにちは。<br />
おいしい料理を食べると自分でも作ってみたくなるように(ならないか?)、ミサ曲に心を打たれていると、自分でも作曲してみたくなるのが世の常だと思います(違いますか?)。<br />
<br />
私も、10代の頃にミサ曲の魅力に取り憑かれてからというもの、「いつかはミサ曲を書きたい」と思ってきました。そのためにはまず、作品の分析が必要だろうと思っていると、いつの間にか苦労して入った大学をやめて、音楽大学で音楽学を学ぶハメになっていました。しかし、そうまでしたのに、いまだにミサ曲を完成させたことがありません(泣)。<br />
そこで、これからミサ曲を書くというライフワークに取り組んでいくにあたって、独りでは寂しいなと感じて、この「ミサ曲のつくりかた」を世に問おうという訳です。<br />
<br />
もちろん、ミサ曲は自分なりに勝手に書いても構わないのですが、私と同様に「ミサの玄義やミサ曲の歴史なりを踏まえて書きたい」と願っているミサ曲フリークの皆さんに、私なりに学んだ知識をお伝えしながら、一緒になって楽しく作曲の作業を進めて参りたいと思います。「作曲まではしたくないなあ」と思っている方も、既存の名曲の数々を聴く時の参考にでもしていただければ甚句にたえません。<br />
なお、この文章は、最後まで完成させることを最優先して、さらっと書いていきます。ですから、途中で何度も書き直しますし、それにもかかわらずミスや不足があるかもしれません。この文章を参考にミサ曲を作曲して「ああ、間違った情報を鵜呑みにしてしまった」と嘆いてみても、その責任は一切負いません(笑)。ただ、明らかな誤りや揺るがせにできない疑問がございましたら、コメント欄からご連絡ください。そして、もし実際にミサ曲を作曲される方がいらっしゃいましたら、楽譜や音のデータを是非ともお送りください。<br />
<br />
◇作業の前に◇<br />
「ミサ曲のつくりかた」では、音楽史に基づいた作曲法を考えて参ります。そのため、音楽史上、ミサ曲史上重要と考えられる作品に接していただきたいと思います。ミサ曲フリークの皆さんにとっては馴染みのある作品ばかりかもしれませんが、これから言葉を用いて議論していくためには、共通の知識が必要となるからです。また、楽譜と音源、推薦CDもご紹介していく予定です。<br />
本来は、どのような作品であれ演奏であれ、できるだけたくさんの楽譜を読み、演奏を聴くことが音楽史学的な頭と耳を育むことになるのですが、ここでは作業を進めるためにも効率のよい方法を採りたいと思います。<br />
<br />
〈必須10ミサ曲のリスト〉(楽譜と音源、推薦CDは準備中)<br />
1.グレゴリオ聖歌《主の御降誕夜半のミサ》<br />
2.マショー《ノートルダム・ミサ曲》<br />
3.パレストリーナ《教皇マルチェルスのミサ曲》<br />
4.バッハ《ミサ曲ロ短調》BWV.232<br />
5.ハイドン《ネルソン・ミサ曲》<br />
6.ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》op.123<br />
7.フォーレ《小ミサ曲》<br />
8.ヤナーチェク《グラゴル・ミサ曲》<br />
9.ストラヴィンスキー《ミサ曲》<br />
10.高田三郎《やまとのささげうた》<br />
<br />
〈参考10ミサ曲のリスト〉(楽譜と音源、推薦CDは準備中)<br />
11.オケゲム《ミサ・カノニカ》<br />
12.クープラン《教区のためのミサ》<br />
13.ヴィヴァルディ《グローリアニ長調》RV.589<br />
14.モーツァルト《戴冠ミサ曲》<br />
15.ロッシーニ《小荘厳ミサ曲》<br />
16.シューベルト《ドイツ・ミサ曲》<br />
17.グノー《聖セシリアの荘厳ミサ曲》<br />
18.ブルックナー《ミサ曲第2番ホ短調》<br />
19.ラミレス《ミサ・クリオージャ》<br />
20.バーンスタイン《ミサ曲》<br />
<br />
〈さらに参考10ミサ曲のリスト〉(作品選定中)<br />
<br />
この後は、ミサ曲を作曲する前に考えなければならないこと、知らなければならないことについて書いてまいります。<br />
<br />
篠崎駅前のロロ(今は引き取られたとか)<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhxf5qKKLXdiymvvml7joN7nk0yxbrfLDWkHf6zwnH91cJCCzal98ECFHlePx8C63ZUq7291Dw2dBjagUeGGPqNxWbJUXH8ndcM47eAVPmRsG3v3znS92fXpSaqV7dp4l9-LGi02yqGkFM/s1600-h/F1000032.JPG" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhxf5qKKLXdiymvvml7joN7nk0yxbrfLDWkHf6zwnH91cJCCzal98ECFHlePx8C63ZUq7291Dw2dBjagUeGGPqNxWbJUXH8ndcM47eAVPmRsG3v3znS92fXpSaqV7dp4l9-LGi02yqGkFM/s200/F1000032.JPG" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com20tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-23472487633725086462009-10-12T04:21:00.003+09:002009-10-21T16:57:24.124+09:00ビクトリア《聖週間のためのレスポンソリウム集》「お気に入り」でご紹介している作品を見ていたら。ルネサンスのものが1つもないことに気づきました。ルネサンスの作品はもちろん嫌いではありません。むしろ音大時代から、ルネサンスの曲はずいぶん歌ってきました。<br />
今まで歌ったことのあるルネサンスの作品の中で、トマス・ルイス・デ・ビクトリアTomás Luis de Victoria(1548-1611)の宗教音楽は、私にとって特別なものとなっています。<br />
<br />
ビクトリアは、パレストリーナとほぼ同時期のスペインの作曲家で、一説にはパレストリーナに師事したと言われています。しかし、彼の音楽は、ルネサンスの音楽様式に基づきながら、その枠から飛び出そうとしているように聴こえます。<br />
たとえば、この《聖週間のためのレスポンソリウム集》においても、歌詞の意味に応じて、ルネサンス的な均整を破る手法をしばしばとっているのです。ちなみにパレストリーナには、こうした特徴はありません。<br />
<br />
聖木曜日のための《Caligaverunt oculi mei》(私の眼は曇った)を聴いてください。<br />
<br />
録音は<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Tom%C3%A1s_Luis_de_Victoria">こちら</a>から(CDの演奏とは違います)<br />
楽譜は<a href="http://www.cpdl.org/wiki/index.php/Caligaverunt_oculi_mei_%28Tom%C3%A1s_Luis_de_Victoria%29">こちら</a>から<br />
<br />
歌詞対訳(torajiroによる):<br />
Caligaverunt oculi mei a fletu meo<br />
私の眼は涙で曇った<br />
quia elongatus est a me, qui consolabatur me:<br />
私を慰めた方が、私から引き離されたから。<br />
<br />
Videte, omnes populi,<br />
見なさい、すべての民よ、<br />
Si est dolor similis, sicut dolor meus.<br />
私と同じ悲しみがあるのかどうか。<br />
<br />
O vos omnes, qui transitis per viam,<br />
おお、道を行く全ての人たちよ、<br />
attendite et videte.<br />
聴きなさい、そして見るのだ。<br />
<br />
この作品は、キリストが十字架にかけられたことを記念する受難週に歌われるもので、中間部分、「Si est dolor similis, sicut dolor meus.私と同じ悲しみがあるかどうか」で、ソプラノが悲痛とも言える叫びを発します。叫びと言っても、もちろん音楽的なものですが、ここに私は、ルネサンスの終焉を感じるのです。<br />
<br />
さて、紹介しているCDは、16名の歌い手から成る「ザ・シックスティーン」による演奏です。タリス・スコラーズの演奏もいいのですが、こちらの方が響きが厚く、私は好きです。<br />
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgChXAs8JT_BntQutEPJ5VblRkeO8oGCvEEAPSWHx3VxfBDe-heKmugAX-nYj6CnZ0ssB760BRfC8pnNwZ4EuaXcxWpZbflszqMYKVy5Ma31HRAitFvRza3tdGGhh8h7JcAIHF71Uf_DLU/s1600-h/victoria_tenebrae.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgChXAs8JT_BntQutEPJ5VblRkeO8oGCvEEAPSWHx3VxfBDe-heKmugAX-nYj6CnZ0ssB760BRfC8pnNwZ4EuaXcxWpZbflszqMYKVy5Ma31HRAitFvRza3tdGGhh8h7JcAIHF71Uf_DLU/s320/victoria_tenebrae.jpg" /></a><br />
</div><br />
<br />
Tower Records EMI Classical Treasures QIAG-50003torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com60tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-69682225239873436412009-10-11T23:42:00.001+09:002009-10-21T19:14:13.037+09:00宗教音楽の歌詞対訳オペラの対訳の仕事をしていて気づいたのですが<br />
英語圏のウェブサイトでは、イタリア語やドイツ語のオペラの歌詞が<br />
英語にすべて訳されて掲載されています。<br />
日本語ではまだなく、高価な書籍として販売されている状況です。<br />
<br />
そこで、宗教音楽で同じことをやろうと考えました。<br />
すでに多くの歌詞対訳が存在していますが<br />
すべてを網羅していくことがこのプロジェクトの目的で<br />
また、使用料は無料で提供していくことに意味があると考えています。<br />
<br />
手始めに、ここで掲載した《ドイツ・レクイエム》、<br />
それから取り組みやすいものからスタートしますが<br />
まだページのフォーマットを決めかねています。<br />
宗教音楽の用語集も含めて、wikipediaのような形式にすれば、他の方にも手伝っていただけるかなあ、などと考えています。<br />
そうすれば、別のプロジェクトの「音楽修辞法」も一緒に取り扱えますし。<br />
<br />
近々、答えを出したいと思います。<br />
<br />
ある寒い夜、三歳で逝ったとら子<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhKm_tFF2ibnQjKvxsdAqh6-CKLC87pz6RMLfVOpqmCbin4X5glzNp0F3JlVNbyBcfEMt1s6SCd-0-nxU4XEFdxtE8KyR1M-BgdqYSDVm_7_guA1meTw2ktHIkVsQBUv36lSQsvyi9QoJI/s1600-h/torako1.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhKm_tFF2ibnQjKvxsdAqh6-CKLC87pz6RMLfVOpqmCbin4X5glzNp0F3JlVNbyBcfEMt1s6SCd-0-nxU4XEFdxtE8KyR1M-BgdqYSDVm_7_guA1meTw2ktHIkVsQBUv36lSQsvyi9QoJI/s320/torako1.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com11tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-25036851841872396092009-10-09T05:37:00.011+09:002009-10-21T19:17:03.099+09:00Musica Sacra JapanへようこそMusica Sacra Japanへようこそいらっしゃいました。<br />
<br />
Musica Sacraとは、聖なる音楽、つまり宗教音楽のことを言います。<br />
本サイトでは、宗教的な音楽はもちろん、音楽の持つ宗教的な力についても、宗教音楽学の視点から、楽しみながら考えて参ります。<br />
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。<br />
<br />
また、本サイトは、立案中のオンライン形式の「宗教音楽辞典」のための覚え書きという存在理由もあります。辞典の作成に加わりたいという方は、どうぞご連絡ください。<br />
宗教音楽の演奏会の告知なども歓迎いたします。 <br />
<br />
◇とある宗教音楽研究者の自己紹介の光景◇<br />
<div class="postcontent">●ところで、何がご専門なんですか?<br />
▲えーと、「宗教音楽学」を専攻しまして(ほらきた)<br />
●え、宗教・・音楽・・学???(きょとん)<br />
▲つまり・・宗教的な音楽の歴史や仕組みを研究する学問でして<br />
●要するに讃美歌とかですか?<br />
▲そ、それも含みますが、クラシック音楽の中のキリスト教の音楽とかの研究が主で<br />
●何だか難しそうですねえ・・・(しかめっ面)<br />
▲いや、バッハとかモーツァルトも研究するんですよ!<br />
●へえ、歌ったりピアノ弾いたりするんですね!<br />
▲いえ、それもやりますが、音楽の仕組みを理論的に・・・<br />
●いや、さっぱり分かんない<br />
▲・・・・・(困ったなあ)<br />
●いや、なんであれ、好きなことをやって飯が食えるとはいいことですねえ。<br />
▲いえ、ぜんぜん食えてないんですけど(しょんぼり)。<br />
そういうわけで、私は音大で宗教音楽学を専攻し、今は本の編集の仕事をメインに生活しています。<br />
<br />
◇管理人プロフィール◇<br />
なまえ:とらじろう(torajiro)<br />
またの名を 藤田浩(フジタヒロシ)<br />
うまれ:島根県(知ってますか?)<br />
すみか:東京都(東京で最初に日が昇るところ)<br />
しごと:本づくりのお手伝い(編集と執筆)<br />
かぞく:ツレとネコ4匹(もう大変!)<br />
しゅみ:釣り<br />
専門は、宗教音楽学(特に18世紀のドイツ・オーストリアのキリスト教音楽)。『ニューグローヴ音楽大事典』(校閲)、『新カトリック大事典』(執筆)などに携わりました。<br />
<br />
シロとクロ <br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiSlceCLymHNPMawMX_vWJhEnY1UMDIvH1m9ZoSgV6Tpiw1Y5xPyVpvzfEpHzC3RpyZhHPSu44ApmofTI0HgkqYM9DAIslRCBs-VkmuhrIfQnoW5KGboyOWbujRBF0AT8ggPZcAmfqLA3I/s1600-h/nakayoshi.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiSlceCLymHNPMawMX_vWJhEnY1UMDIvH1m9ZoSgV6Tpiw1Y5xPyVpvzfEpHzC3RpyZhHPSu44ApmofTI0HgkqYM9DAIslRCBs-VkmuhrIfQnoW5KGboyOWbujRBF0AT8ggPZcAmfqLA3I/s320/nakayoshi.jpg" /></a><br />
</div><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com9tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-42433313698207452052009-10-02T05:26:00.002+09:002009-10-21T17:02:51.743+09:00ロッシーニ《スターバト・マーテル》カトリックの宗教音楽の中で、オラトリオ、ミサ曲、レクイエムに次いで大作・名作が多いのが、「スターバト・マーテル」でしょう。ロッシーニのこの作品もその一つ。<br />
このタイトルは、「Stabat mater聖母が立っていた」という歌い出しの語句に由来しています。言葉の内容は、イエス・キリストが十字架にかけられた時のマリアの悲しみを描きつつ、罪の赦しをイエスに取り次いでもらうよう、マリアに懇願する祈りとなっています。<br />
<br />
音大に入る前、普通の大学の学生として過ごしていた頃、合唱仲間とよく音楽の鑑賞会を開いていました。私は『レコード芸術』で、ジュリーニの演奏が良いと読み、LP を買って聴いていました。ある時、鑑賞会にも持って行ったのですが、仲間はそれよりも良いのがあると言います。そこで紹介されたのがムーティのライブ録音でした(たぶんFM)。オープンリールで録音された演奏を聴いてみて驚きました。ジュリーニがしっとりと悲しんでいるような演奏だったのに対して、ムーティはとにかく熱いのです。しばらくして、その演奏と同時期のものとおぼしきCDが出て、私はもちろん購入しました。<br />
<br />
ロッシーニの《スターバト・マーテル》といえば、オペラ的であると当時から批判されていましたが、第4曲「肉体が死ぬ時Quando corpus morietur」はアカペラでずいぶん対位法的です。変だなあとずっと思っていました。それがある時、イタリア・バロックの作曲家マルチェッロのヘブライ語詩編曲集を聴いていたら、馴染みの旋律が聞こえてくではありませんか。「ロッシーニだ!」ロッシーニはマルチェッロを引用していたのです。なぜか? その謎は今も私の心の中にあります。<br />
<br />
ロッシーニ:スターバト・マーテル EMI CC33-03254(廃盤?) リッカルド・ムーティ指揮、フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団・合唱団、キャサリン・マルフィターノ(Sop)、アグネス・バルツァ(Alto)、ロバート・ギャンビル(Ten)、グウィン・ホーウェル(Bass)<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj8lCTjzpBU-GJBope1B78gj2q1YH9ymJ7XTv_vjR7igh4QCCqQXzw6PIX4bkdY1Qzm9-i9o2uwdf9fNwOXvRoNwdROpuEzcM7K3Vo0PJLFR0Mx3Q6ytRNTkczsxkhyphenhyphenKWPzOn5407WMC2U/s1600-h/Rossini_Stabat_Mater.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj8lCTjzpBU-GJBope1B78gj2q1YH9ymJ7XTv_vjR7igh4QCCqQXzw6PIX4bkdY1Qzm9-i9o2uwdf9fNwOXvRoNwdROpuEzcM7K3Vo0PJLFR0Mx3Q6ytRNTkczsxkhyphenhyphenKWPzOn5407WMC2U/s200/Rossini_Stabat_Mater.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-52013811174017300542009-09-27T06:02:00.002+09:002009-10-21T17:27:13.734+09:00(1) グレゴリオ聖歌との出逢い楽譜が配られます。あれ、日本語じゃないや。英語かな? うーん、何て読むんだろ。楽譜も変だ。線が4本しかないぞ。<br />
<br />
これが私のグレゴリオ聖歌との出逢い。歌好きの母の影響で、私は小学生の時に合唱団に入りました。初めは世界の民謡などを歌っていたのですが(もちろん日本語)、高学年になって、いきなりグレゴリオ聖歌を歌わされるハメになったのでした。みんな当然すぐに歌えるはずもありません。カタカナで読みかたを練習しながらピアノで音を拾ってもらって次第に音楽が形を現してきます。曲は《アヴェ・マリアAve Maria》、《元后あわれみの母Salve Regina》、《サンクトゥス9番》。ステージでは白いガウンを着て歌い、ちょっと照れくさかったことも思い出です。当時は外国語の歌を歌うこと自体の面白さで心はいっぱいで、きれいだなあと漠然と感じるだけでしたった。<br />
<br />
高校生になって、LPレコード(当時CDはありません)を聴き始めましたが、「グレゴリオ聖歌はクラシック音楽の源泉だ」と何かで読み、宇都宮の県立図書館でLPを借りられるので、ガジャール神父指揮のソレム修道院の演奏を片っ端から聴き始めました。LPには楽譜も付いていて、自分の部屋で歌ったものです。その後、大学を退学し、音大に入り直すべく広島の実家に戻って受験勉強を始めましたが、その時に教えを受けたのが、世界的なグレゴリオ聖歌の研究者である水嶋良雄さん(先生)だったのです。<br />
<br />
音楽大学というところは私にとって居心地のいい場所でした。講義にまったく興味が持てなかった前の大学とは違って、ほとんど好きなことばかりを勉強していられたからです。水嶋先生のグレゴリオ聖歌の講義もその一つでした。<br />
授業は、水嶋先生の歌で始まります。曲目は季節に応じた聖歌で、学生は、先生の歌を手本に一緒になって歌います。それが終わると全員着席して講義が始まります。その講義の中で、僕は1000年も前に《ドレミの歌》があったことを知ったのでした。<br />
<br />
《ドレミの歌》といえば、知らない人はまずいないでしょう。元は、アメリカのミュージカル《サウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Music》の有名な曲ですが、この映画の方もご覧になった方が多いはずです。<br />
主人公の修道女マリアが、オーストリア海軍のトラップ大佐の元へ家庭教師として赴き、母親を亡くして久しく音楽を忘れた子供たちに、音楽の基本である階名唱を手ほどきするときの歌が《ドレミの歌》でした。<br />
しかし、このあまりに有名な名曲にはオリジナルがあったとしたら?<br />
<br />
そもそもみなさんは不思議に思ったことがないでしょうか。階名の「ド」とか「レ」とか、あるいは音名のAやBはどのように決まったのか。物事には始まりがあります。階名と音名もそうです。その中でも階名は、グレゴリオ聖歌に源があったのです。<br />
<br />
さて、「1000年前のドレミの歌」のお話に移る前に、グレゴリオ聖歌を聴いてみてください。グレゴリオ聖歌を聴いたことのない人は、こちらからどうぞ。<br />
<br />
Enterを押してページが切り替わったら、ページの一番下、小さな字がごちょごちょしている中からArchivesをクリック。またページが変わるので、そしたらGregorian Chantのリンクをクリックします。すると、いろんなグレゴリオ聖歌のタイトルが出てきます。<br />
手始めに《Requiem(レクイエム)》を聴いてみてはどうでしょう。これがが気に入ったなら、フランス近代の作曲家デュリュフレの《レクイエム》もおすすめです。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAuxqTZB_SaolFqcbnC8NnTeeWMs5fawU9wmdt76xFrKE1OwWa02nIShyphenhyphenjJCyCxouEUm7LPudVlwIFux0qqoEGoLt4bTssGsWcXZ7c2NaeiQmeanCujYN7IHKO-T3LSr83SH5SLjqHO70/s1600-h/som.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgAuxqTZB_SaolFqcbnC8NnTeeWMs5fawU9wmdt76xFrKE1OwWa02nIShyphenhyphenjJCyCxouEUm7LPudVlwIFux0qqoEGoLt4bTssGsWcXZ7c2NaeiQmeanCujYN7IHKO-T3LSr83SH5SLjqHO70/s200/som.jpg" /></a><br />
</div><br />
映画《サウンド・オブ・ミュージック》(DVD)torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-78980003626530590362009-09-27T05:53:00.000+09:002009-10-20T19:44:31.828+09:00Youtubeで発見なんとなくネットサーフィンをしていたらYoutubeで面白い動画を発見しました。<br/>東京フィルの演奏会に向けての宣伝も兼ねた楽曲分析のようです。<br/><br/>和声進行と動機労作のアナリーゼなのですが、内容はさておき、こういう形で自分の研究や意見をアピールできるんだということに気づきました。<br/>宗教音楽では2曲ほど動画がアップされています。<br/><br/><a href="http://www.youtube.com/watch?v=nkBnRZL9H3o&feature=channel_page">ドクトル中川のアナリーゼ ~ドイツ・レクイエム(前編)~</a><br/><a href="http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=kRp3kkO_FI0">ドクトル中川のアナリーゼ ~教会音楽「スターバト・マーテル」(前編)~</a><br/><br/>ただ、家には電子ピアノしかなく、しかも部屋は荒れ放題。<br/>○○君のオルガンを借りて録画しようかな(笑)。torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-91388818891038489542009-09-26T05:22:00.003+09:002009-10-21T17:05:18.180+09:00バッハ《ミサ曲ロ短調》18歳の春、浪人中であるにもかかわらず、市民合唱団に入りました。合唱コンクールの自由曲で歌ったのが、バッハの《ミサ曲ロ短調》BWV.232の「Gloria in excelsis Deo」と「Dona nobis pacem」でした。結果は残せませんでしたが、この作品と出逢ったことは、私の音楽生活にはプラスになりました(受験にはマイナスでした!)。<br />
<br />
《ロ短調ミサ》は、同じくバッハの《マタイ受難曲》とは全く別の魅力を持っています。《マタイ》が人間の「裏切り」に眼差しを向けて音楽も組み立てられているのに対して、《ロ短調》はラテン語の歌詞であることもあって、純粋に音楽的なのです。当時の私には、この作品全体は巨大なモニュメントが眼前にあるかのように感じられましたし、静かな部分では、瞑想に誘われるかのようでした。<br />
<br />
その後、さまざまな演奏を聴いた後ですが、今ではフランツ・ブリュッヘンの演奏が気に入っています。とりわけ18世紀オーケストラの響きには感服します。それに比べて合唱がやや非力なのですが、カウンター・テナーのマイケル・チャンスをはじめとして、独唱は美しいと思います。少し前に出たグスタフ・レオンハルト盤もいいのですが、カウンター・テナーのルネ・ヤーコプスの癖のある歌い口が、私のイメージする《ロ短調》には合わないのです。<br />
<br />
さて、この《ミサ曲ロ短調》は、いくつかのステップを経て全曲が完成されています。その経緯はここでは説明しませんが、全体がバロックの「カンタータ・ミサ」のスタイルで構成されています。<br />
「カンタータ・ミサCantata Mass」(「Missa cantata歌ミサ」とは別)とは、イタリアのナポリで始まったミサ曲の作曲法で、歌詞を細かく分け、それぞれを独唱や重唱、合唱といった一つの曲として音楽を付け、それらを並べて全曲と成すものです。<br />
本来のカンタータにはレチタティーヴォが付きものですが、「カンタータ・ミサ」ではレチタティーヴォはありません。典礼であるミサの中で司祭が朗唱する言葉がその代りだと言えるかもしれません。<br />
ともあれ、「カンタータ・ミサ」のスタイルは、長く豪華で祝祭的なミサ曲を書くためにうってつけで、すぐにドイツにも伝わりました。<br />
<br />
ところが、バッハの死後、18世紀後半になると、「カンタータ・ミサ」に含まれる曲数は減っていきます。つまり、従来は1行から数行を1曲として作曲していたのが、5行10行以上の行に曲を付けるようになったということです。これは演奏時間の短縮とミサ全体の簡素化にもつながったのですが、音楽的に見れば、長い作品の構成原理が変わってきたことを反映していると考えられます。<br />
中世では、聖歌の旋律を長く引き延ばした「テノール」が作品の屋台骨でした。ルネサンスでは、同じ旋律を各パートが繰り返すことで音が組織化されていました。バロックからは歌詞の内容に応じて異なる性格の曲が書かれ、それらが組み合わされて全体が構成されました。そして、18世紀の終わりには、ソナタ形式のような原理で曲が書かれ始めます。<br />
<br />
バッハの《ミサ曲ロ短調》は、そうした歴史の流れに屹立する記念碑的な作品です。<br />
<br />
ブリュッヘン指揮の《ミサ曲ロ短調》 マーキュリー・ミュージックエンタテインメント PHCP-1672/3<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjE1l8jpM3NBm4bvK1g0ZzOWAUmpb7I9a8-OQQ9dmFLvJ8nDT8cEJHQatKeIZ8FBcgz7mETWwt68fw10qX1kVewL3jBgt2z7EUFbe009T6LBkmIHUz01QBMAvCTp9vqwyjKRHwFbF5snWY/s1600-h/massinbminor.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjE1l8jpM3NBm4bvK1g0ZzOWAUmpb7I9a8-OQQ9dmFLvJ8nDT8cEJHQatKeIZ8FBcgz7mETWwt68fw10qX1kVewL3jBgt2z7EUFbe009T6LBkmIHUz01QBMAvCTp9vqwyjKRHwFbF5snWY/s200/massinbminor.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-25694519369254306302009-09-25T06:09:00.003+09:002009-10-21T17:28:36.513+09:00(1) ひとは音楽を必要としている三年前の冬に家族同様の猫を一匹失いました。<br />
野良猫だったのを餌をやっていたら、近隣の住人から庭で糞をすると文句を言われ、やむを得ず引き取って面倒を見ていた若い猫です。動物病院で避妊とワクチンの処置をした時、院長先生から長生きできないと言われました。なんでも、心臓の鼓動が不安定で、糖尿病の気もあるらしいのです。それでも、とら子と名付けられた茶とらの猫は、先住者の3匹の猫たちに虐められながらも、2年くらいは元気に走り回っていました。<br />
<br />
とら子はなぜか、家族の中でも私だけになついていました。仕事をしていると足下に、寝るときは枕元にいて、私が外出するときは家の中から「行くな!」と鳴き叫びました。そんなとら子が逝ってしまったのです。<br />
冬のまだ暗いうちに、突然ゲホゲホと咳をしたので家人と一緒に飛び起きて様子を見ると、力なくぐったりしています。眼はビー玉のようになって、急速に光が消えていく。動かない。何度声をかけてもまったく動かない。とら子はまだ3歳なのに…。<br />
私たちはなけなしのお金でペットの葬儀屋を呼び、葬儀屋の車でトラ子を火葬にしました。骨になるととても小さいのですね。お骨を箱に入れてテーブルに写真とともにおいて、線香をあげる毎日が続きました。<br />
<br />
とら子を失った悲しみは、じわりじわりとやって来ました。自分を慕っていたとら子にいったい何をしてやれただろうか。悲しみに後悔や悔しさも入り交じって、涙が流れました。<br />
けれども、不思議なことに、私は不思議な気持ちも抱くようになっていまし。とら子があれほど私に付きまとっていたのは、何かをしてほしいわけではなく、ただ一緒にいたいからだったと思うと、体もも温かくなったのです。この気持ちが悲しみを鎮めてくれました。そこから、とら子のために一枚のアルバムを取り出し、古いLPプレーヤーでとら子の写真を見ながら聴くまでにさほどの時間はかからなかったと記憶しています。そのLPアルバムは、不世出のバリトン、ハンス・ホッターの歌う『冬の旅』(写真はCD)でした。<br />
<br />
人生は旅にたとえられます。とら子の生涯もまた旅でした。冬に命が尽きたとら子に『冬の旅』はしっくりきます。いや、それは残された私の心のためのものだったのではないでしょうか。死の音楽はいつも、残された者の生のために奏でられるのだから。<br />
伝説の東京ライブでのホッターは、深く温かい声で、とら子を看取った私の心を包んだことは間違いありませんでした。<br />
<br />
エピソードが長くなりました。でも、私の心には、たしかに音楽が必要だったのです。そして、「死」を意識してひとが選ぶ音楽は、そのひとの人生を反映しているのだと思います。そんなことを踏まえつつ、「死の音楽death music」をテーマに、少しずつ考えていきたいと思っています。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjrR1T2ZjCYMWi0cFMSV688xOxuXTga2HT44OGiRPJYybAfF_x9XoUldxTG0t7S5IPldaAysWpbfXRdvntd8s_N9Z5e78tdD6y3V8TRPiVTCU4vtj-_OIruySUiveUg7NZrzfmHmniihfo/s1600-h/SRCR-1848.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjrR1T2ZjCYMWi0cFMSV688xOxuXTga2HT44OGiRPJYybAfF_x9XoUldxTG0t7S5IPldaAysWpbfXRdvntd8s_N9Z5e78tdD6y3V8TRPiVTCU4vtj-_OIruySUiveUg7NZrzfmHmniihfo/s200/SRCR-1848.jpg" /></a><br />
</div><br />
シューベルト《冬の旅》<br />
ハンス・ホッターの東京ライブ<br />
SONY SRCR-1848torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-38738198321222719072009-09-25T05:18:00.002+09:002009-10-21T17:07:18.607+09:00ヴェルディ《レクイエム》高校生の頃、モーツァルトの《レクイエム》で宗教音楽に目覚めた後、ヴェルディの《レクイエム》にはまりました。当時は地元の図書館でLPレコードの貸し出しをやっていたのですが、その図書館は日本有数の所蔵を誇っておりまして、せっせと通っては、違う指揮者の演奏を次々に聴いていました。<br />
<br />
ある時、古いレコードを借りたのですが、ジャケットから取り出してびっくり。なんと昔懐かしいソノシートのように盤が赤く半透明なのです。これはどうやら、ホコリを呼び寄せる静電気を減らすことと音質を柔らかくするのに効果があるということで採り上げられたもののようでした。<br />
<br />
演奏は、1939年のモノラル録音でしたが、私は決してガッカリなどしませんでした。というのはテノールソロのベニャミーノ・ジーリに出逢えたからです。ジーリの声は柔らかで、それでいて張りがあり、その声の美しさの前には、私はただただぽかんとするだけでした。<br />
<br />
ヴェルディの《レクイエム》の初演は1874年。その当時から評判になるとともに、「宗教音楽の衣をまとったオペラ」(ハンス・フォン・ビューロー)と批判も受けました。たしかに全曲を通して、オペラ歌手でなければ演奏不可能なフレーズに満ちているのは事実です。でも、それが瑕疵にならないほど、この作品は素晴らしいとしか私には言いようがないのもまた事実です。<br />
<br />
彼のアイデアで素晴らしいのは、「怒りの日Dies irae」の箇所が何度も再現され、死の恐怖が全曲を通して楔のように打ち込まれていることでしょうか。ちなみにこのアイデアは、ドヴォルザークの《レクイエム》でも採用されています。<br />
<br />
セラフィン盤は1939年録音ということで、著作権が切れていると推察されます。そこでYou Tubeにアップロードされている録音を紹介します。<br />
<br />
<a href="http://www.youtube.com/watch?v=c_lrFQJDR5w&feature=related">Verdi Requiem Requiem & Kyrie Serafin 1939 Part 1</a><br />
<br />
残りは、上のリンクから順に進んでみてください。<br />
<br />
ジーリの歌う《レクイエム》<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgNJ1dpnJorkQViYlQZdUPMk1Vry8DzUXmh70TSqnjun1oz9Q8CDWKGz3m3-N4CGavKIKxloUpEs09T9lsT1YxKzgVs9mr1SIqQQ5UnLINlfDp3CAKEPTEO_cygUVf8cWvWhym4XGxyCyg/s1600-h/Verdi_Requiem.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgNJ1dpnJorkQViYlQZdUPMk1Vry8DzUXmh70TSqnjun1oz9Q8CDWKGz3m3-N4CGavKIKxloUpEs09T9lsT1YxKzgVs9mr1SIqQQ5UnLINlfDp3CAKEPTEO_cygUVf8cWvWhym4XGxyCyg/s200/Verdi_Requiem.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-54501923116219234862009-09-25T04:51:00.002+09:002009-10-21T17:08:30.177+09:00メンデルスゾーン《エリヤ》メンデルスゾーンは19世紀の宗教音楽の方向性を決定づけた作曲家の一人です。その彼の功績の一つは言うまでもなく、バッハの《マタイ受難曲》の復活蘇演ですが、その時の演奏会と同じプログラムで同じ編曲がCD化されていて、なかなか興味深いものです。<br />
<br />
さて、メンデルスゾーンの宗教音楽の代表作といえば、オラトリオ《エリヤ》でしょう。マズアやコルボの演奏を聴いてきましたが、このところはヘレヴェッヘ盤が気に入っています。柔らかでケレン味のない演奏だから、力強さには欠けるかもしれませんが、歳とともに心に染み入るものを求めるように変化(老化?)している 私にとっては、それがいいのです。<br />
<br />
さて、預言者エリヤは、バアル神を信じる人びとが担ぎ出した魔術師と戦います。バアル神とその妻アシュタロテはカナンの人びとの神。旧約聖書を紐解くと、ヘブライの民の歴史は異教と偶像の崇拝、そして神から与えられる罰の歴史でもあります。アシュタロテ像を見て、一神教の神の厳しさに思いを馳せつつ、作品を聴いています。<br />
<br />
メンデルスゾーン:オラトリオ「エリヤ」 仏ハルモニア・ムンディ HMC901463 フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 シャペル・ロワイヤル、コレギウム・ヴォカーレ、シャンゼリゼ・オーケストラ、ペリテ・サロマ(Bass)、ソイレ・イソコスキ(Sop)、M.グローブ(Alto)、デルフィーネ・コロット(Sop)、J.M.アインシュレイ(Ten)<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjuJOyZu65cmwof5VToqGPMdeij3NLM9LsrJwJc8Yny7_Kkbj8cqacP8P4c9CfaILmE4jBMMizq9kvWHKAkMvfVxfuBxE6SxWW-9thlC5yKbO-Rg9E5P0fLoiPmZkj7KO3O5tyXGcLUEIU/s1600-h/elias.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjuJOyZu65cmwof5VToqGPMdeij3NLM9LsrJwJc8Yny7_Kkbj8cqacP8P4c9CfaILmE4jBMMizq9kvWHKAkMvfVxfuBxE6SxWW-9thlC5yKbO-Rg9E5P0fLoiPmZkj7KO3O5tyXGcLUEIU/s200/elias.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-91651605692329040102009-09-23T06:18:00.003+09:002009-10-21T17:09:35.476+09:00ヴァニハル《ミサ・パストラーリス》ヴィーン古典派といえば、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンですが、<br />
当然、大勢の作曲家が同時代に活動していました。<br />
ヨハン・バプティスト・ヴァニハルJohann Baptist Vanhal(1739-1813)もその一人。<br />
<br />
18世紀の最後の10年、オーストリアのミサ曲には決定的な「変化」が生じていました。<br />
ヨーゼフ・ハイドンによる「交響ミサ曲」です。<br />
これは、バロックの組曲やアリアで曲が構成されるバロックの「カンタータ・ミサ曲」に対して、ミサ曲を「キリエ、グローリア」、「クレド」、「サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイ」という3つのブロックに分け、各ブロックがそれぞれ一つの交響曲のように組み立てられるというものです。<br />
<br />
けれども、こうした「交響ミサ曲」の成立は、ひとえにハイドンに栄誉が帰せられるわけではありません。<br />
既に18世紀の後半では、バロックの祝祭的な音楽様式は次第に退潮し、ミサ曲は啓蒙主義の時代に合わせて簡素化され始めていました。ハイドンはそうした傾向を集約したのです。<br />
<br />
ヴァニハルのこの作品も、18世紀のこうした傾向の証拠の一つです。<br />
古典派のミサ曲に親しんでいる人にとっては、モーツァルトやハイドン兄弟の作品と同じ響きを感じ取るかもしれません。ただ、彼らの音楽がかなり国際的な様相を示しているのに対し、このヴァニハルの作品は、クリスマスの音楽ということもあいまって、オーストリアのローカルな伝統を反映しています。たとえばドローンとして持続されるバスは羊飼いの音楽であり、ヨーデル的なフレーズを聞くこともできます。<br />
<br />
ヴァニハルなど、今では無名になってしまった作曲家がたくさんいて、モーツァルトやハイドンはその中で音楽生活を送っていたのでした。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br />
</div>Vaňhal:Missa Pastoralis NAXOS 8.555080 Uwe Grodd指揮 Tower Voices New Zealand Aradia Ensemble<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEglwIiFQ1CZRYp3gppQ-Cf_538R1WFyoBoIqyLXMJ3HiWomzFeSGrIjy6Q58f3uFUzD5vj4FFWfEEJ-7s-6uZDLXMigTshab_dgWFOPYZNrNR6g_UV9QvzCWzyqtu5n4-W-vlPZEB-tj5g/s1600-h/vanhal.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEglwIiFQ1CZRYp3gppQ-Cf_538R1WFyoBoIqyLXMJ3HiWomzFeSGrIjy6Q58f3uFUzD5vj4FFWfEEJ-7s-6uZDLXMigTshab_dgWFOPYZNrNR6g_UV9QvzCWzyqtu5n4-W-vlPZEB-tj5g/s200/vanhal.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-16745979710687621962009-09-21T06:14:00.003+09:002009-10-21T17:40:19.722+09:00(1) 曲当てクイズこの《レクイエム》が誰のものかって?<br />
イントロのメロディは……。ああ、ガスマンだね。あれ、ヘンデルっぽいところもあるぞ。これは「メサイア」だ。うーん、ゴセックとも似ているな。「Domine Jesu Christe…」ミヒャエル・ハイドンのと作りも歌詞の割り振りもそっくりじゃないか。「Sanctus…」 驚いた。これはバッハの長男フリーデマンのパクリだ。<br />
こんなに曲を知っていて、うまくつなぎ合わせる力量はなかなかのもんだ。それに、パクリだっていうのに、こんなに素晴らしいというのはのは…。「Confutatis」の地獄の劫火とひたすらな祈り。「Lacrimosa」なんて、涙が出るほど痛切だった。<br />
<br />
これを誰が作曲したのかって? ガスマン、ハイドンの弟が入っているのだから、オーストリアの作曲家だろうよ。ゴセックっぽいところもあるから、フランスへ行ったことがあるんじゃないか。ヘンデルを勉強したことがあって…、大バッハがらみの楽譜を見ることができる奴は限られている。そして、曲の素晴らしさといえば…。<br />
<br />
そうだ。モーツァルトだ。<br />
<br />
上はもちろん架空の曲当てクイズです。曲当てをしているのは、兄ハイドンか、ヴァン・スヴィーテンか、はたまたサリエリといったところでしょうか。モーツァルトの《レクイエム》(k.626)には、それだけ多くの巨匠たちの音楽が入り込んでいます。<br />
天才たるモーツァルトともあろう者が、なぜこのような作曲法を選んだのか、というのが本小論のテーマです。<br />
<br />
本論に進む前に、モーツァルトの略歴を振り返っておきましょう。<br />
<br />
モーツァルトが生まれ育ったのはオーストリアのザルツブルク。ザルツブルクは日本で言えば、島根県の津和野のような小さな街です。山間いには川が流れ、山の上にお城があるところなどそっくりです。1756年、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、ザルツブルクの宮廷音楽家レオポルトの家に生まれました。モーツァルトの生涯は、いろいろな本やサイトで読めるので、ここでは宗教音楽に的を絞っていきます。<br />
<br />
アマデウスが天才児であることがわかって、父レオポルトは作曲の教育を始めます。だから、宗教音楽の最初の師匠も父レオポルト。たとえば、かつては K.115とされていたミサ曲は、レオポルトの《荘厳ミサ曲ハ長調》の筆写、もしくはミサ・ブレヴィスの形への転用改作であることが今日では判明しています。<br />
また、レオポルトは息子とともにヨーロッパ中を演奏旅行に出かけたことが知られています。旅先では様々な作曲家と出会ったり、演奏を聴いて刺激を受けました。イタリアでは、ヴァティカンで門外不出の秘曲とされていたアレグリの《ミゼレーレ》を一度聴いただけで楽譜に写し取り(ただ、この曲の合唱部分は単純で、それが何度も繰り返される)、ロンドンでは、バッハの息子ヨハン・クリスチャン・バッハとも会っています。<br />
また、ザルツブルクには有名なハイドンの弟ヨハン・ミヒャエル・ハイドンがいました。20歳ほど歳は離れていますが、ミヒャエルとヴォルフガングは堅い友情で結ばれていたようで、ミヒャエルの《死者のためのミサ曲(レクイエム)ハ短調》は、後にアマデウスの《レクイエムK.626》の下敷きとなるばかりでなく、《フリーメーソンのための葬送音楽K.477》で引用されています。<br />
といっても、当時の引用やパロディとは、元の作曲者に敬意(リスペクト)を込めたものであることを忘れてはなりません。<br />
<br />
モーツァルトの手紙や伝記を読むと、コロレード大司教との軋轢もあって、ザルツブルクはモーツァルトを縛り付けていたかのような印象を受けますが、彼の音楽の基礎には、ザルツブルク時代に身につけた音楽があります。次の章では、ザルツブルク時代の彼の宗教音楽について見ていくこととします。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiB9I3ExGVGpJJ2CoKxpBK8qUqYE7jl95BlLVENZe4Efr-XOzHjQDxQse_UXtFiHCsQXQ1XjqI5xPCnbsnXckK9GQUorVdt-GKCjlsYUVIICWjW30KZMWMXwAZKYMVpl_I8RMVj6VwPYzY/s1600-h/Wolfgang-amadeus-mozart_1.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiB9I3ExGVGpJJ2CoKxpBK8qUqYE7jl95BlLVENZe4Efr-XOzHjQDxQse_UXtFiHCsQXQ1XjqI5xPCnbsnXckK9GQUorVdt-GKCjlsYUVIICWjW30KZMWMXwAZKYMVpl_I8RMVj6VwPYzY/s200/Wolfgang-amadeus-mozart_1.jpg" /></a><br />
</div><br />
Wolfgang Amadeus Mozart<br />
(1756 Salzburg-1791 Wientorajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-74993977314164214342009-09-21T04:59:00.002+09:002009-10-21T17:13:52.913+09:00ドヴォルザーク《レクイエム》生になって合唱を再開し、宗教音楽に目覚めた頃、家の中で古ぼけた楽譜を見つけました。母が昔、市民合唱団で歌っていた時のもののようです。外国語で書かれていた曲名ですが、すぐに分かりました。「Requiem…あ、レクイエムだ。」<br />
<br />
当時の僕は、モーツァルトのレクイエムにぞっこんだったからです。けれども、見つけた古い楽譜の作曲者が分からない。「Dvorak…。ドヴォラク???」と埒があかないのです。でも、数は少ないけれど、自分のLPコレクションから、すぐに答えは見つかかりました。「ドヴォルザーク! へえ、ドヴォルザークにもレクイエムってあるんだな。」楽譜を読みこなせない当時の私には、その程度の認識でした。<br />
<br />
その後、この作品が名曲であるらしいことを知った私は、当然レコードを探しましたが、カタログにはありません。でも、高二の冬、ついに憧れの曲を聴く時がやってきました。ロンドンレーベルから、ケルテス指揮のLPが発売されたのです。予約を入れてレコード屋へ走る。2枚組のボックスからレコードを出してターンテーブルに載せます。ゆっくりとピックアップを落とすと、聴こえてきたのは想像をはるかに超えた、深い音楽でした。<br />
<br />
それから私は独学でピアノを少しだけ弾けるようになり、《レクイエム》の前奏を弾いたものです。前奏だけで、この曲の素晴らしさは分かります。しかも、その素晴らしさは曲の最後まで続きます。粘りのある作品です。もちろんその粘りには技巧的な裏付けがあります。それは循環主題の使い方の巧みさ。十字架の音型が死のテーマとして作品全体を貫いているのです。<br />
<br />
その後、大学をやめて音大に入り直した私は、全曲を歌う機会に恵まれました。どっぷりとドヴォルザークに浸った年でした。でも、暗譜で臨んだ本番では、「Confutatis」のソプラノの歌い出しを一緒に歌ってしまいました(汗)。思い出すたびに顔が赤くなるような思いです。<br />
<br />
私のお気に入りは写真の、アンチェル指揮チェコフィル盤。弦が何とも渋いのです。西欧のオケは音がきれいすぎます。<br />
さて、このLPでは、ケルテス盤と同じく、「Tuba mirum」で鐘の音が入ります。鐘が入らない演奏もあり、Calmusのミニチュアスコアを見ても指示がないため、どうしたことかと悩んでいましたが、チェコのスプラフォンのミニチュアスコアには「ad libitum」で指示がありました。<br />
<br />
アンチェル指揮チェコフィルのドヴォルザーク《レクイエム》独グラモフォンSLGM-1343-44(廃盤)<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi0Blmecm05z8AuOh7f0Vc2oHAJeRVUHV6RDfmGVlq8n9LqDz2Q6ie6ccmHmxUcl1y9-9qABKwQAvWw5UxIU2Oddwh3ZCBp2vFwLabw3CjPt4X4IQAb_OJd9Cn00vwj8uGMEJ6glIhHtio/s1600-h/Dvorak_Requiem.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi0Blmecm05z8AuOh7f0Vc2oHAJeRVUHV6RDfmGVlq8n9LqDz2Q6ie6ccmHmxUcl1y9-9qABKwQAvWw5UxIU2Oddwh3ZCBp2vFwLabw3CjPt4X4IQAb_OJd9Cn00vwj8uGMEJ6glIhHtio/s200/Dvorak_Requiem.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-25140372432926515112009-09-20T07:38:00.000+09:002009-10-20T19:44:31.502+09:00ミサ曲のつくりかたミサ曲の歴史について、ずっと書きたいと思ってきました。<br/>しかし、そうした研究や書籍はすでに存在しています。<br/>そこで考えた結果、もし今日の私たちがミサ曲を作曲したいと思ったら<br/>どのように準備し、作曲するかという観点から<br/>解説していったら面白いのではないかと発想しました。<br/><br/>まず、ミサ曲を作曲するための準備について考え<br/>その次に個々の楽章をどのように作曲できるか<br/>過去の作品を例に挙げながら解説していきます。torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com14tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-73818042776028244832009-09-20T04:23:00.002+09:002009-10-21T17:15:56.062+09:00バッハ《ヨハネ受難曲》このサイトの整理をしながら<br />
久しぶりにバッハの《ヨハネ受難曲》BWV.245を聴いています。<br />
<br />
私は高校生の時、受験に失敗しました。<br />
その時、私の大きな慰めになったのが《ヨハネ》でした。<br />
リヒター指揮の抜粋盤を何気なく聴いていて<br />
終盤の「憩え安らけかに,聖なる御からだよRuht wohl, ihr heiligen Gebeine」で、<br />
なぜだか涙があふれてきたのを今でも覚えています。<br />
<br />
この曲の後には、<br />
コラール「ああ主よ,汝の御使いに命じてAch Herr, lass dein lieb Engelein」が続きますが、<br />
当時の私は、なぜコラールで締めくくるのか分かりませんでした。<br />
私の辛い気持ちは、「憩え安らかにRuht wohl」でなだめられて終わり、<br />
その余韻を次のコラールで壊さないで欲しいという思いがありました。<br />
<br />
それが、驚いたことに、いまでは納得がいくのです。<br />
というより、コラールがなくてはならないとまで思います。<br />
不思議ですね。<br />
<br />
何はともあれ、<br />
《ヨハネ》から、私の「バッハ生活」はスタートしたと言ってもいいくらいです。<br />
<br />
その後、リヒターの全曲盤CD、ブリュッヘンのCDと聴いてきましたが<br />
今は、アーノンクールが気に入っています。<br />
<br />
アーノンクールのバッハは、教会カンタータ全集や<br />
《マタイ受難曲》の最初の盤から聴いてきましたが<br />
乱暴さや粗雑さがだんだんなくなり、<br />
それでいて劇的な表現は研ぎすまされてきているように感じます。<br />
<br />
最後の2曲はすこしあっさりしすぎているように感じるかもしれません。<br />
でも、この作品で苦しさを吐き出し乗り越えた私にとっては<br />
かえって生々しくない方がいいのです。<br />
<br />
アーノンクールの《ヨハネ受難曲》 ワーナー WPCS-4474<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgFi_ZQUs7avwBzt_hRQvvLYmWOg7qA0E9noImH0KDe0xTnKEgLHyni_hu6YHaH9Z1dGbFZlwk2qYMepJibdvMMONCUZwlEKDNaUAJDtyV8i_Sr97Eux_ZtIAnLm7IpmKhmrou1dzMBfIo/s1600-h/JohannesPassion.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgFi_ZQUs7avwBzt_hRQvvLYmWOg7qA0E9noImH0KDe0xTnKEgLHyni_hu6YHaH9Z1dGbFZlwk2qYMepJibdvMMONCUZwlEKDNaUAJDtyV8i_Sr97Eux_ZtIAnLm7IpmKhmrou1dzMBfIo/s200/JohannesPassion.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-67725521170724280712009-09-18T07:40:00.000+09:002009-10-20T19:44:31.474+09:00音楽修辞法について17、18世紀の音楽を理解する上で、音楽修辞法、フィグーラの知識は有用ですし、演奏家にとっては不可欠でもあります。しかし、残念なことに日本語で読める資料がほとんどないので、解説していきたいと思います。<br/><br/>このプロジェクトは次のように進行します。<br/><br/>1.音楽修辞法について、定義や歴史などの概略を解説<br/>2.修辞法の音型(フィグーラ)を個々に説明(文字のみ)<br/>3.説明に対して、譜例を用意し、編集<br/><br/>今まで譜例の作成が面倒で手をつけられませんでしたが、後回しにしてでも<br/>先へ進めたいと考えています。torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-35539898345026060302009-09-18T07:07:00.003+09:002009-10-21T17:17:39.603+09:00《旧約聖書の音楽》キリスト教のルーツであるユダヤ教は歌う宗教です。しかし、古代ユダヤ教の音楽実践の伝統は一度失われ、どのような音楽が演奏されていたかはほどんど分かっていません。このレコードは、無理を承知で、古代ユダヤ教の音楽を復活させた試みです。<br />
<br />
私からすると、この演奏はヨーロッパ的に洗練されすぎているような気がしますが、それでも興味深いことにはまったく変わりありません。とりわけ、キリスト教でも盛大に奏される詩編150番、それに、ユダヤ教では葬儀に用いられるヨナタンを悼む歌は、このアルバム全体の白眉と言えるでしょう。<br />
このアルバムは、音楽学者による研究の成果であることに加え、遺跡から発掘された楽器を復元している点で、資料としてまことに貴重です。<br />
<br />
ここ数年、キリスト教の音楽を学ぶだけではなく、キリスト教の歴史や聖書についての仕事に携わってきた私にとって、ユダヤ教はまだ見ぬ故郷のような存在になりつつあります。<br />
<br />
Musique de la Bible révélée(廃盤)<br />
仏harmonia mundi france HMA 190 989<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjzrmTp0IA0oi-ByBIy0JljdPsx840QcdVx07_G4YwRhdAjNzvUfkUKnjh-4C6O0t8V5G8yzG2uda_pFZ0ymKL9qTROOLT_ZmgSUArlynKCKlEQlVw4gejHVSZmT0XUS6pLKYHHQC6C2Jk/s1600-h/oldtestament.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjzrmTp0IA0oi-ByBIy0JljdPsx840QcdVx07_G4YwRhdAjNzvUfkUKnjh-4C6O0t8V5G8yzG2uda_pFZ0ymKL9qTROOLT_ZmgSUArlynKCKlEQlVw4gejHVSZmT0XUS6pLKYHHQC6C2Jk/s200/oldtestament.jpg" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-56873736778308640662009-09-18T05:41:00.004+09:002009-10-21T17:38:55.947+09:00(2) 《ドイツ・レクイエム》との出逢い《ドイツ・レクイエム》について考えるためには、ブラームスについて、あるいはロマン派について、さらにはドイツの宗教音楽について、ある程度の予備知識が必要となります。そこでここでは、ブラームスや彼の時代、また当時の宗教音楽について簡単に説明しておきたいと思います。<br />
ただ、その前に、語り手である私torajiroが《ドイツ・レクイエム》とどのように出逢ったか、そして、なぜこの作品について考えをまとめてみようと思ったかについて触れさせてください。<br />
<br />
■《ドイツ・レクイエム》との出逢い<br />
私は高校生の頃、皆川達夫さんの『合唱音楽の歴史』を読んで、そこに挙げられている作品をすべて聴いてやろうと心に決めました。モーツァルトの《レクイエム》にはまっていた私は当然、有名な作曲家のレクイエムを片っ端から探し求めました。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》もその中の一つです。
<br />
<br />
行きつけのレコード店で《ドイツ・レクイエム》を探します。「あった! でも、2枚組。ということはお金が足りないや。」当時のLPレコードでは、この作品は1枚に収まり切れず、2枚組だったのです。ところが、1枚のレコードが見つかったのです。大喜びで買って帰りました。<br />
わくわくしながらジャケットからレコードを取り出し、ターンテーブルに置きます。プレイボタンを押すと、自動的にアームが動いて盤面に降りていきます。期待が高まります。ところが、なんだかガサついた音がするではありませんか。雑音の奥の方から、やっとハーモニーが聞こえてくる感じです。ボリュームを上げると、雑音も大きくなるだけ。
結局、全曲を聴き通したものの、私の心は満たされませんでした。<br />
<br />
その後分かったことですが、レコードはモノラル録音で、それだと盤に溝を刻む都合で、長い曲でも1枚に収まるらしいのです。このレコードの演奏は、ブルーノ・ワルター指揮のニューヨーク・フィル。これも後で知ったことですが、ワルターは名指揮者中の名指揮者です。ところが、若い私には、ブラームスもワルターも、そして《ドイツ・レクイエム》も、つまらないものにしか思えませんでした。<br />
<br />
そして二十年後、ある合唱団で《ドイツ・レクイエム》を歌うことになりました。大学で宗教音楽学を研究した私は、《ドイツ・レクイエム》のCDをすでに何枚も聴き、嫌いではなくなっていました。ただ、いつも聴きたいレパートリーではなかったのも事実です。それが、人生の半分を終えた今、歌詞を読み直すと、かつて何も感じられなかったのが嘘のように、聖書の言葉が心に沁み入ったのでした。
感じ方が変わった最大の理由は、人生の労苦がいくらかでも分かる齢になったことでしょう。<br />
それに加えて、仕事としてですが、この時期、聖書を集中して読んでいたことや、そんな状況の中で何人ものクリスチャンと知り合い、神や信仰について考え始めたことも大きいと思います。自分の人生観や死生観、また、宗教観や信仰が変化し成長したことで、宗教的な歌詞を持つ音楽の感じ方や理解の仕方も変わってきたということです。そうして歌詞にリアリティが感じられるようになり、この作品への取り組み方や表現の仕方もまた変わったように思います。<br />
<br />
《ドイツ・レクイエム》から何を感じるかは人それぞれであり自由です。ただ、一つだけ言えるのは、ブラームスが、カトリックの型通りの「レクイエム」では飽き足らず、生きることと死ぬことの意味について深く考えたうえで創作に望んだに違いないということでしょう。作曲家が自発的に創作するようになった19世紀の西欧においては、宗教音楽も作曲家個人の世界観を映し出すものとなっていきました。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》は、そうした音楽作品の中でも記念碑的な作品だと私は考えています。<br />
<br />
こんなわけで、《ドイツ・レクイエム》について考えることは、私にとって自分の音楽生活を振り返ることになるのですが、それはまた、この作品に馴染みのない方、どうも好きになれないという方を、理解と共感へと誘うためのささやかなお手伝いでもあります。私が、かつてはそうだったからです。<br />
<br />
人の耳、音楽の耳は、年齢とともに、また経験とともに確実に変化成長を遂げます。このことを踏まえつつ、次の章では、ブラームスの活動した時代について、簡単に振り返っていくこととします。<br />
<br />
《ドイツ・レクイエム》自筆譜(第1楽章の歌い出し)<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjQjJGeCecNRpjGdXR03OgqeYY4Y_ASe0N5TQDs91_LrqJPb_TVYTjnzem4H-MMpJxuSOP5cPK1S1xFmKLpHg-AuUE0n7Dkjb8Gm5CLASYJ7Uj0Yq701kFxsbg0XQMG_fhHsRR_pd_swpY/s1600-h/brahms_requiem.gif" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjQjJGeCecNRpjGdXR03OgqeYY4Y_ASe0N5TQDs91_LrqJPb_TVYTjnzem4H-MMpJxuSOP5cPK1S1xFmKLpHg-AuUE0n7Dkjb8Gm5CLASYJ7Uj0Yq701kFxsbg0XQMG_fhHsRR_pd_swpY/s320/brahms_requiem.gif" /></a><br />
</div>torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-59741626059788155182009-09-18T05:30:00.002+09:002009-10-21T18:03:30.672+09:00翻訳者は裏切り者この春は、イタリア語の翻訳の仕事をしていました。宗教、歴史、地理、芸術など広範囲に渡るテキストで、なかなかやりがいのある仕事でした。翻訳といえば、こんなことわざがイタリアにあるそうです。<br />
<br />
「Traduttore, traditore 翻訳者は裏切り者」<br />
<br />
音楽史上、私の知っている限りで最大の誤訳といえば、まず、コープランドCoplandの《アパラチアの春Appalachian Spring》が思い浮かびます。どこが誤訳ですって? それは「spring」には「春」だけでなく、「泉」という意味があると言えば分かるでしょう。<br />
でも、この曲名は、後になって付けられたとか。それにもかかわらずコープランドの元には、「アパラアチア山脈の美しい春の様子が目に浮かびます」といった感想が多数寄せられたといいます。いや、「spring」をどう解釈するかという問題ですから、英語圏の人にとっては誤訳ではないですね。「spring」=「泉」と判明してから放置されている日本語の題名が、誤訳状態にあるというのが正確なところでしょうか。実は私も高校の音楽でこの曲を聴いた記憶があるのですが、すっかり騙されていました(笑)。<br />
<br />
で、話を宗教音楽へと戻します。<br />
<br />
もう10年以上も前のことですが、ハイドンHaydnのミサ曲を買いに行きました。CDを手に取るとケースには《Paukenmesse》と《Missa in tempre belli》とあります。前者はドイツ語で「太鼓ミサ」の意。後者は原題のラテン語です。さて、日本語表記を見ると「良き四季斎日のミサ曲」とありました。「うーん、たしかこの曲は《太鼓ミサ》か《戦時のミサ》って呼ばれてたんじゃなかったっけ」と疑問が生じます。<br />
<br />
「belliはイタリア語のbellaで、美しい=良き、ってことなのかなあ」などと考えつつ、恩師であるスペイン人神父さまに話してみました。すると、すぐに問題解決。<br />
どういうことかと言うと、「missa」はラテン語で、イタリア語だと「messa」。じゃ、当然、「belli」もラテン語。だとすると、「bellum(戦争)」の格変化で、「tempore」は「斎日」ではなく「時」の意味で、やっぱり《戦時のミサ》にしかならない。<br />
<br />
そして、どうして、こんなミスが起きたのか調べてるために『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂)を引いてみると、「ビンゴ!」。この辞典からして間違っていたのです。<br />
<br />
しかし、「戦時のミサ」が「良き四季斎日のミサ」となって、曲の聴こえ方が変わるとも思えないので、どうでもいいことなのかもしれませんね(笑)。今でもネットではこの誤訳が広まっているのを見るにつけ、気にはなるのですが…。<br />
<br />
辞典の方は、その後、訂正されたかどうか、私は知りません。<br />
(でも、とても便利な辞典であることは間違いないです)<br />
<br />
そういえば、「鎮魂曲」というのも、誤訳だと思います。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiFN70aiJmRWv68HGm-_PE7wBQ97BkvaZUozZEv-KcpZ9PvdCDY_Qw_o2TQdMrDTPTTxCrrYNtsMD3QlozIHPTc_92sKAM3bkcADhmp5MTeQJqbM_IIlwNQSwP5DOa29sfhkd-1T2e7hV8/s1600-h/41dnFYJcFaL._SL500_AA240_.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiFN70aiJmRWv68HGm-_PE7wBQ97BkvaZUozZEv-KcpZ9PvdCDY_Qw_o2TQdMrDTPTTxCrrYNtsMD3QlozIHPTc_92sKAM3bkcADhmp5MTeQJqbM_IIlwNQSwP5DOa29sfhkd-1T2e7hV8/s200/41dnFYJcFaL._SL500_AA240_.jpg" /></a><br />
</div><br />
バーンスタイン指揮<br />
《戦時のミサ》torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-7085720737249188964.post-91327961435349265502009-09-18T04:15:00.002+09:002009-10-21T17:18:42.406+09:00クレア・カレッジの《フランス合唱音楽集》イギリスの大学には優れた聖歌隊が多いです。<br />
ケンブリッジではキングス・カレッジが特に名高いのですが、このCDでは同じケンブリッジでもクレア・カレッジの聖歌隊が歌っています。ここは女声が参加しているのが、他と大きく違っています。<br />
女声が歌っていても発声は完全な頭声発声で、澄み切ったトーンはさすがイギリスの伝統。フォーレの宗教曲にそれがピタリとはまって、静謐さとたおやかな雰囲気はまさに天国だと感じます。ラテン系のある神父さまに聴いてもらったところ、「発音がどうもね」などと憎まれ口を叩いてはいましたが、たしかに子音の発音は大人しすぎるかもしれません。<br />
けれども、私にとっては部屋の取り出しやすいところに置いて、時々こっそり聴きたい名盤となっています。特にフォーレの《小ミサMesse basse》とモテットはクリスチャンでなくとも参ってしまうにちがいありません。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmw2wAImfBcGlxOjT-SaxbV1kz-XOABkXnxUqYpJfex7I8ays2rLs2sKu3Q_qxELKE_OeCbjU7_gIIsSTbKrFldHzjnpzaFcGdr1ooKVfkuCPA9COFepr8m03CKpdBTJN55ntIj6wO00c/s1600-h/french.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmw2wAImfBcGlxOjT-SaxbV1kz-XOABkXnxUqYpJfex7I8ays2rLs2sKu3Q_qxELKE_OeCbjU7_gIIsSTbKrFldHzjnpzaFcGdr1ooKVfkuCPA9COFepr8m03CKpdBTJN55ntIj6wO00c/s200/french.jpg" /></a><br />
</div><br />
このCDの詳細と試聴は<a href="http://www.clare.cam.ac.uk/life/choir/french.html">こちら</a>から。torajirohttp://www.blogger.com/profile/04217375316584181782noreply@blogger.com0