2009年8月10日月曜日

谷川に水はない

Sicut cervus desiderat ad fontes aquarum,
Ita desiderat anima mea ad te Deus.

1581年、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂の聖ジュリア礼拝堂。当代きっての巨匠パレストリーナは、詩編42番第1節の詩句に清明な音楽を付け、澄み切った礼拝堂の空間に聖歌隊の荘厳な声を響かせました。今日でも《谷川慕いて》の題名で知られるモテットの佳曲です(音楽そのものをご存知ない方は、お手数ですが右のバーのリンク(Music)の中からたどって、作曲家Palestrina、曲名Sicut cervusで楽譜と音源を探してみてください)。

この曲の歌詞は、ヴルガタ訳聖書(ラテン語聖書)に基づいていますが、次のように訳すことができます。

泉に水を探し求める鹿のように、
そう、わたしの魂は、神よ、あなたを求めています。
(筆者訳)

この訳から一般の日本人がイメージするのは、緑濃い山の中、こんこんと湧き出す泉の水を飲みに来た鹿というのどかな風景でしょう。パレストリーナの音楽が醸し出す雰囲気もまた、そのような潤いに満ちたもので、歌詞と音楽の組み合わせには何の違和感もないように感じらます。
けれども、この詩編の舞台は、実は乾き切った砂漠か岩山で、水は一滴もないというのが事実なのです。それはどういうことなのか、聖書を紐解きながら考えていきたいと思います。

まず、ヴルガタ訳→イタリア語→日本語と訳された『バルバロ訳』聖書を見てみると、次のようになっています。

牝鹿が小川の流れを慕うように、
私の魂は、あなたを慕う、神よ。
(フェデリコ・バルバロ訳『旧約新約聖書』。ドンボスコ社。1964年)

次に、カトリックの聖書である『バルバロ訳』に対し、プロテスタント系の『口語聖書』はどうなっていたでしょうか。

神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
わが魂もあなたを慕いあえぐ。
(日本聖書協会編『聖書』。日本聖書協会。1955年)

このように「小川」「谷川」と、やはり牧歌的なイメージが並んでいますね。
ところが、ヘブライ語で書かれた詩編42番のオリジナルを読むと、先述した対照的なイメージが立ち現われるのです。ヘブライ語から直接日本語に訳された『新共同訳』で見てみましょう。

涸れた谷に鹿が水を求めるように、
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
(日本聖書協会編『聖書 新共同訳』。日本聖書協会。1987年)

谷が涸れているのですから、水はどこにもありません。鹿がごくごくと水を飲んでいるイメージが崩れ去ります。「涸れた谷」とは、「ワディ(ワジ)」と呼ばれる、雨季の時にだけ出現する水のない川のことで、地理の教科書にも出てきます。乾ききった荒れ地の中、鹿が水を求めて、今にも倒れそうになりながらさまよう光景が浮かんでこないでしょうか。

さて、イスラエルは紀元前6世紀、新バビロニアの前に敗れ、多くの人びとがエルサレムからバビロンへと連行されました。いわゆる「バビロン捕囚」です。詩編42番は、その絶望の中で書かれたと言われています。ですから、鹿の渇きは、詩人とイスラエルの民の心の渇きに他ならないのです。
ワディという絶望の世界。しかし、イスラエルの民はよく知っています。雨季になり恵みの雨が降れば、涸れた川には水が満ち、その後、荒れ野には色とりどりの花が咲くのです。そしてこう考えます。「神がこうした仕打ちをするのは、自分たちに罪があったからにちがいない。しかし、神は決してお見捨てにならない。この試煉の時を乗り越えれば、いつか必ず救われる」と。

このようにして、我々の知るユダヤ教は生まれ、その教えは体系化されながら書き残されました。そして、囚われた人びとは、新バビロニアを滅ぼしたペルシャのキュロス大王によって、エルサレムへの帰還を許されたのでしたた。

さて、音楽に話を戻しましょう。
パレストリーナは的外れな音楽を作ってしまったのでしょうか? 

そう思うひとがいても不思議ではありません。けれど、当時の聖書が「涸れた谷」を「泉」や「谷川」としていても、パレストリーナは第2節以降を読んでいるでしょうから、詩編42番が描く苦難の状況を誤解するはずはありません。また、パレストリーナは、バビロン捕囚の様子を描いた詩編136番の詩句に痛切な音楽を付けています(《バビロン川のほとり》)。パレストリーナは、単純に教会の要請にしたがって、このような曲調で作曲しただけかもしれません。

結局、私には、事実は分かりませんが、いずれにしても、この歌を聴く時、口ずさむ時、美しさの後ろにある強烈な何かを感じて、私は思わず居住まいを正してしまいます。

なお、詩編42番の解釈については、和田幹男さんのサイトがたいへん参考になります。



涸れ川
(ワディ)

28 件のコメント:

torajiro さんのコメント...

☆☆☆データベースのクラッシュで消えたコメントです☆☆☆


1. 菅野茂 wrote:

パレストリーナは作曲科では対位法で散々やらせられるだけですね。音楽学的には音楽史の授業で彼の曲を一曲聴いてその感想を書きなさいと夏休みの宿題に出されたきりそれっきりですね。

この曲は名曲解説全集に載ってなかったかしら?名前だけは知っていますが未だに聴いたことはないですね。作曲の人はやはり楽譜が無いと興味のエンジンがかからないようです。

Reply to this comment | 2009年9月16日 @ 19:20
2. torajiro wrote:

パレストリーナの対位法は私も学生時代、授業でありました。
というか全学生必修だったのです。
で、分かったことと言えば、彼の対位法は完璧なのですね。
どこにも破綻がない。

それに対してビクトリアは、
たとえば《聖週間のための聖務曲集》を聴けば(楽譜を見れば)分かりますが
歌詞の意味に応じて、当時の理論ギリギリの作曲をします。
ジェズアルドになると、旋法理論を拡大解釈していって
20世紀以降の音楽と比較しても驚くような和声構造になっています。
モンテヴェルディになると、ルネサンスの理論を打破してますが。

なにはともあれ、完璧に均整のとれた音楽美ということであれば
パレストリーナは筆頭に挙げられるかと思います。
楽譜は
http://www.cpdl.org/wiki/index.php/Main_Page
から探しに行けばあると思います。

Reply to this comment | 2009年9月16日 @ 19:29
3. 菅野茂 wrote:

作曲の学生はあの悪どい芸大和声から脱却するために、旋法対位法を使います。これやらないと確実に現代音楽が書けないのです。もちろんハ音記号で4段譜でやります。更にピアノで弾くのでスコアリーディングもやります。

現代音楽とっては殺人者のジェズアルドのほうが重要ですね。良く現代音楽のコンサートの中に彼の合唱曲も入っています。

実はここではパレストリーナはどこでも楽譜は手に入ります。でも時間がないのでやっている暇がない。たまにボンのシューマンハウスでスコアを一冊1ユーロで売っていたら買って来るくらいです。

今はそれどころじゃないですね。先週コピーしたシェーンベルクの「ヤコブの梯子」を、昨日の夜、子供たちにバラバラにされて何か書かれて、接着剤で貼られました。今はその整理で大忙しです。

僕のプロジェクトはこういったシェーンベルクの「モーゼとアロン」などとともに補筆して完成させる仕事を望んでいます。全集版には資料がかなりあるので何か完成させられそうな気がします。でもあの曲たちは台本も未完成なのですね。ロサンジェルスの友達に頼みましたがやはり怖いらしくて執筆のめどは立っていません。これをWikiで世界のみんなに関心のある人たちでやったら速く行くと思います。もちろん批判やディスカッションもWikipediaの方式でやると確実ですね。Finaleの会社あたりでやってくれないかな?同様にソラブジの第二交響曲(オーケストレーションだけですが)完成を望んでいます。もちろん完成したら我々の手で演奏したいです。ブルックナーの9番のFinaleの新版の批判校訂も趣味でWiki形式でやってみたいですねえー。

Reply to this comment | 2009年9月16日 @ 22:29
4. torajiro wrote:

《Moses und Aaron》ですか。
おっと、Aaronではなく、一文字抜かしてAronでしたね。

Wiki方式をとれば、いろいろできそうですが
まずは英語・日本語・ドイツ語で運営できるように
サイトを作ってみましょうか?
もちろん、音楽学的なお手伝いも可能です。

せっかく今はネットという便利なものがあり
我々は外国語を使えるのだから、
日本語と日本人のの狭い枠組みにこだわらずに
楽しんでいけると思うのです。

Reply to this comment | 2009年9月16日 @ 23:21
5. 菅野茂 wrote:

Wikipedia の場合はあくまでも文字ですからねえ。Linuxも同じですね。僕がこれからやりたいのはみんなでその未完成の楽譜を完成させるという仕事ですね。条件はすべて同じです。書いた曲はすべて執筆者に権利が属します。批判もできます。他人の書いた楽譜を直すこともできます。常時公開します。一年ごとに区切って楽譜として出版することもできるでしょう。そのときは演奏したいものです。まあシベリウスやコーダの会社が中に入らないとできないでしょう。

Reply to this comment | 2009年9月17日 @ 05:17
* torajiro wrote:

なるほど、そうなると、まず必要なのは
サイト制作よりも、人集めですね。
サイトでも人は来るでしょうが、
それではゆっくりすぎますね。
たとえばmixiのようなネットワークで集めるのはどうですか?

Reply to this comment | 2009年9月17日 @ 09:42

菅野茂 さんのコメント...

かなり立て直しましたね。
どこかにバックアップがあったようです。

まあWikiのテクニックでそれが大方文字ではなくて音符であるということでしょう。
やはりコーダ・ミュージック社などの協力は欠かせないでしょう。
まず普通は英語でHP作っておけばグーグルやヤフーにはまず引っかかります。
後はそれを音楽学者に知らせることですね。
ドイツだったたら各音楽研究室にメールでも入れて招待すれば良いのですよ。
ケルン大学なんか現代音楽専門ですからあそこにチラシかポスター貼っておけば学生がたくさん集まるでしょう。教授陣も本気になってやるかも?
チュービンゲン大学はシューベルトかな?

torajiro さんのコメント...

ネットで検索すると、キャッシュといって保存されているのです。
ただ常に最新のページが保存されているわけではないので
コメントなど後から追加になったテキストや
投稿でも最新のもの(ここだとフォーラムとか)は救出できません。

さて、例のwikiの計画ですが
どんな手順で進めますか?

菅野茂 さんのコメント...

Wiki,ほんとにやるのですか?
こんなに本気になってくれる人は初めてです。
やっぱり音楽学者ですね。
本当は作曲家はやるもんじゃないですね。
時間がないし、やっても個性や好みが強いので原作者に忠実は多分無理でしょう。
というか僕にかまわず自分で勝手に自由にやっても良いのです。

まずFinaleの許可を取る。
プログラムを作って実験してみる。
成功したらそこで公開する。
まず最初に「モーゼとアロン」などはテキストをドイツ語と英語で完成させるとこから始まります。
一応曲が完成したら、スコアとパート譜を作り、オーケストラに売り込んでみる。
出版したい音楽出版社があれば話に乗る。
演奏された場合はその楽譜と音源を原則公開して更に批判させる。
You・Tubeでも良い。
なんて夢が広がりますねえ。

他のアイディアとしてはソラブジの第二交響曲のオーケストレーション、マーラーの前歌曲のオーケストレーション、ワーグナーの「リエンチ」の初稿のオーケストレーションなどがあります。

まあ完成版として一番難しいのはバッハのフーガの技法の最後とシューベルトの未完成でしょう。
これだけはやれる自信はありませんね。

torajiro さんのコメント...

だって面白そうでしょ(笑)。

問題は、人がどれだけ集まって
そのうち、どれだけ熱くなってくれるかですね。

Finaleの問題ですが
参加者は基本的に、ソフトを持っている人になりますよね?
そこが最大のネックのような気もしますがどうでしょう。

それから、現存する楽譜をどうやって入力するか。
《キリストChristus》はカーリヒあたりから出てるでしょうね。
それを利用するなら出版社の許可が必要。
利用しないならマニュスクリプトから起こすのか?
こんなことが気になりました。

菅野茂 さんのコメント...

とても面白いです、これは僕が昔からアイディアを暖めていました。一回ロサンジェルスのトド・バッシュに言ったら不可能だろうということでしたが、その後LinuxやWikiがどんどん発達してくるにつれて可能だと思うようになりました。

Finaleは昔は僕は出版社から96年と98年を、紙屋君から2002年版と2007年版を貰いました。でもFinaleのHPにはNotePad程度だったら無料ダウンロードできるのですね。要は私達のプロジェクト程度だったら無料で提供してくれると思いますよ。もちろんそれ以外の目的には使わないという条件です。

最新版のFinaleは一人一回使えないのでWin.のようにコピーしても無駄です。メールが自動的に本社に行くのですよ。やはり断って許可を貰うべきでしょう。

torajiro さんのコメント...

オンラインで楽譜を作成して共有できるサービスもあります。
どこまで実用に耐えるかはまだ調査してません。

http://web-marketing.zako.org/web-tools/online-music-notation-noteflight.html

菅野茂 さんのコメント...

そこに問い合わせても良いですね。
特にFinaleでなくとも良いです。
要は現代音楽の中のグラフィックのようなものではありませんから、
無調まで記譜でき、かつ消すことができれば、
後はそんなに凄い機能はいらないのではないでしょうか?
僕、個人では音が出る機能はどうでも良いです。

菅野茂 さんのコメント...

今見ました、ブログサイトに埋め込みもできるようですからここでやっても良いわけです。
細かい機能は知りませんが、最低スコアと歌詞、パート譜までは出ないと駄目でしょう。

菅野茂 さんのコメント...

まず声楽曲はテキストを完成させることからやらないと駄目でしょう。
シェーンベルクの「モーゼとアロン」も第三幕のテキストは完全には完成していませんね。
モーゼが山に登って死ぬまで語らないと自分では物足りないです。
第三幕の演奏時間はやはり50分。

その後はピアノ・スコアから作って完成した時点で、オーケストレーションに持っていく段取りです。
そのためにはシェーンベルクが書いたすべてのスケッチ資料が必要です。
それは全集版にありますが、やはり国際シェーンベルク協会のOKが必要だと思います。

「ヤコブの梯子」しかりです。

菅野茂 さんのコメント...

自分のHPに貼り付けられるのは良いことですが、
あそこのサイト良く見ましたが原始的すぎて駄目ですね。
強弱とか付けられないようですね。
あくまでもポップを想定したサイトですね。

torajiro さんのコメント...

まだ始まったばかりのサービスで、しかも無料ですからね。
今後の発展に期待するというところですね。

菅野茂 さんのコメント...

プログラム自体が原始的なのでしょう。
fpなどの強弱や連譜が出ないと話しにならないですね。
後はFinaleなどの交換性があればもっと良いです。
演奏のために印刷ができることでしょう。
PCで演奏できるかどうかはどうでもいいですね。
自分で痛い思いして演奏しないと意外とミスは見つからないものです。

torajiro さんのコメント...

最近のソフトはMusicXMLというフォーマットで出力できるようになっていて
そうすると互換性があるようですね。

MusicXMLのファイルでやりとりをするという条件であれば
どのソフトを使ってもいけるかと考えています。

菅野茂 さんのコメント...

まあその交換性も含めて許可を取らないと駄目でしょう。なぜそうやれたほうが良いかというと作曲家がその曲を編曲するときや、それを基にした変奏曲などを書くとき便利なのですね。

torajiro さんのコメント...

スポンサーになってもらうためにも許可はあった方がいいですね。
(甘いか?)

菅野茂 さんのコメント...

それでお金が儲かればねえ。
でも音楽学的なキャリアにはなるでしょう。
丁度リナックスやWikipediaやGoogleの創始者のように。

torajiro さんのコメント...

まあ、それもスタートしての話です。

菅野茂 さんのコメント...

余り金儲けは期待できないので、自己のキャリアの養成と割り切ったほうが良いかもしれません。僕はアイディアは浮かぶのですがあくまでも本業ではないので後回しになっちゃいますね。

torajiro さんのコメント...

アイデアはどんどん出してください(笑)。

菅野茂 さんのコメント...

じゃ、金儲けは誰かの係りとしておきましょう!

torajiro さんのコメント...

で、利益は折半!!

菅野茂 さんのコメント...

できればの話ですが。

あの「モーゼとアロン」プロジェクトはやはりシェーンベルクが好んだコンデンススコアによるプロジェクトのほうがメモリーの負担が少なくてよいでしょう。最近あの楽譜を見直して思いました。まず台本ですね。第三幕は5場ぐらいは必用でしょう。

torajiro さんのコメント...

ファイルの容量は大丈夫です。

台本は、英語のサイトを作らないと始まりませんね。

菅野茂 さんのコメント...

台本は原典に従がって英語とドイツ語同時進行でよいでしょう。

それが完成したらピアノ譜を作ります。
一旦できてしまえばオーケストレーションはそこからコピーするのが大半なので簡単です。
もちろん批判も大量に受け入れられます詩Wikiだから話し合えます。

でもサーバーは決して消えないように、これが肝心ですよ。

torajiro さんのコメント...

英語のサイトを構想するとしますか。

サーバーはバックアップが肝要ですね。

菅野茂 さんのコメント...

説明は英語だけで良いですね。
ドイツ語の歌詞はどうしてもドイツ語の専門家でないと駄目でしょうが。

torajiro さんのコメント...

英語だけにとどめないと時間が足りないのも事実です。