全国のミサ曲フリークの皆さん、こんにちは。
おいしい料理を食べると自分でも作ってみたくなるように(ならないか?)、ミサ曲に心を打たれていると、自分でも作曲してみたくなるのが世の常だと思います(違いますか?)。
私も、10代の頃にミサ曲の魅力に取り憑かれてからというもの、「いつかはミサ曲を書きたい」と思ってきました。そのためにはまず、作品の分析が必要だろうと思っていると、いつの間にか苦労して入った大学をやめて、音楽大学で音楽学を学ぶハメになっていました。しかし、そうまでしたのに、いまだにミサ曲を完成させたことがありません(泣)。
そこで、これからミサ曲を書くというライフワークに取り組んでいくにあたって、独りでは寂しいなと感じて、この「ミサ曲のつくりかた」を世に問おうという訳です。
もちろん、ミサ曲は自分なりに勝手に書いても構わないのですが、私と同様に「ミサの玄義やミサ曲の歴史なりを踏まえて書きたい」と願っているミサ曲フリークの皆さんに、私なりに学んだ知識をお伝えしながら、一緒になって楽しく作曲の作業を進めて参りたいと思います。「作曲まではしたくないなあ」と思っている方も、既存の名曲の数々を聴く時の参考にでもしていただければ甚句にたえません。
なお、この文章は、最後まで完成させることを最優先して、さらっと書いていきます。ですから、途中で何度も書き直しますし、それにもかかわらずミスや不足があるかもしれません。この文章を参考にミサ曲を作曲して「ああ、間違った情報を鵜呑みにしてしまった」と嘆いてみても、その責任は一切負いません(笑)。ただ、明らかな誤りや揺るがせにできない疑問がございましたら、コメント欄からご連絡ください。そして、もし実際にミサ曲を作曲される方がいらっしゃいましたら、楽譜や音のデータを是非ともお送りください。
◇作業の前に◇
「ミサ曲のつくりかた」では、音楽史に基づいた作曲法を考えて参ります。そのため、音楽史上、ミサ曲史上重要と考えられる作品に接していただきたいと思います。ミサ曲フリークの皆さんにとっては馴染みのある作品ばかりかもしれませんが、これから言葉を用いて議論していくためには、共通の知識が必要となるからです。また、楽譜と音源、推薦CDもご紹介していく予定です。
本来は、どのような作品であれ演奏であれ、できるだけたくさんの楽譜を読み、演奏を聴くことが音楽史学的な頭と耳を育むことになるのですが、ここでは作業を進めるためにも効率のよい方法を採りたいと思います。
〈必須10ミサ曲のリスト〉(楽譜と音源、推薦CDは準備中)
1.グレゴリオ聖歌《主の御降誕夜半のミサ》
2.マショー《ノートルダム・ミサ曲》
3.パレストリーナ《教皇マルチェルスのミサ曲》
4.バッハ《ミサ曲ロ短調》BWV.232
5.ハイドン《ネルソン・ミサ曲》
6.ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》op.123
7.フォーレ《小ミサ曲》
8.ヤナーチェク《グラゴル・ミサ曲》
9.ストラヴィンスキー《ミサ曲》
10.高田三郎《やまとのささげうた》
〈参考10ミサ曲のリスト〉(楽譜と音源、推薦CDは準備中)
11.オケゲム《ミサ・カノニカ》
12.クープラン《教区のためのミサ》
13.ヴィヴァルディ《グローリアニ長調》RV.589
14.モーツァルト《戴冠ミサ曲》
15.ロッシーニ《小荘厳ミサ曲》
16.シューベルト《ドイツ・ミサ曲》
17.グノー《聖セシリアの荘厳ミサ曲》
18.ブルックナー《ミサ曲第2番ホ短調》
19.ラミレス《ミサ・クリオージャ》
20.バーンスタイン《ミサ曲》
〈さらに参考10ミサ曲のリスト〉(作品選定中)
この後は、ミサ曲を作曲する前に考えなければならないこと、知らなければならないことについて書いてまいります。
篠崎駅前のロロ(今は引き取られたとか)
20 件のコメント:
僕だったら最後の高田三郎は抜きます。
やはり知名度や水準で他とは比べられないですね。
日本人はまだ宗教音楽は作ったことがありません。
他のは場所や時代に関係なくどこでも演奏されていますので問題ないでしょう。
このリストは、単純に音楽史上の重要な作品ということではなく
日本語での事例を挙げておきたかったのです。
この作品については、ただそれだけの選択基準で選んでます。
ミサ曲はラテン語であるのが原則ではないでしょうか?
合唱組曲なら良いかもしれませんがどうも日本語は第九のように気持ち悪くて聴いていられないです。
自論ですがミサ曲の原則はそのままにしておきたいです。
このコーナーではおっしゃる通り、ラテン語でのミサ曲を作ることを第一とします。
しかしながら、ミサ曲とは、芸術作品であるばかりでなく
教会で今でも歌われる典礼音楽であり、自国語で歌うことを私は妨げたくありません。
それが私たちにとって如何に気持ち悪く聴こえようともです。
自国語で作曲を試みようとする人の可能性を摘みたくないという気持ちもあります。
この問題はMuseに詳しく書いたのですが、問題は自国語ではなくて日本語そのものについて言っています。まあ音符に一個の発音を付けるわけですが、日本はみなひらがなにしてバラバラにしないと音符に収まらないから歌曲にならないわけです。言うまでもなく日本語は同音異義語が多いわけですからそれをやりますよ意味が全然わからなくなります。あの「君が代」が良い例です。あの意味がわかりますか?少なくとも小学校のt期に意味を理解して歌っていましたか?僕は中国語に曲を付けた経験もありますが、日本語以外はそういう問題がまずは発生しないようです。
ここは最近一発で出てきません。何かおかしいようです。Submitもどうも一回では行かないようです。さっきはPC全体が狂いだして全部止めました。このプログラムにビールスが入っている確率はありますか?とにかく問題はここのHPだけです。
このサイトのwordpressは最新版で、ウィルスはまず考えられません。
ただ、異様に重いのは事実です。
それは、このブログを置いているレンタルサーバーが重いことで起きています。
(サーバーの状況を確認済み)
ですから、いずれサーバーを変更しようと思っています。
その際は完全にバックアップを取ります。
日本の夜の時間帯はほんとに駄目なので
同じサーバーを使っているどこかの誰かが問題を起こしているのでしょう。
それから、日本語の問題ですが
それでも典礼なり礼拝で日本語での歌が必要とされているのは事実です。
菅野さんのおっしゃることは解りますが
あの10曲は、作品の優劣で選んだわけではないのです。
さっきはPCがビールス風に狂っていましたが、今度は軽くなりました。
今この前のP.ヤルヴィ・HRの「ドイツ・レクイエム」聴いています。
悪くないですねえ。
重い重い、ここのサーバーのようです(笑)。
暗い、怖い上手くいっています。
ブルックナーもこれだけ重かったら成功でしょう。
やはり僕は日本語では作曲しませんね。
結局一音符で意味がすぐわかる原語が良いです。
日本語はとにかく曖昧すぎます。
これでは作曲者の主張は明確には語れないですね。
僕はミサはやはりラテン語に限ります。
通常文はみなわかっているので、後は音楽そのものだけで良いのです。
ミサ曲作るならやはり作曲科でしょう。
音楽学は研究して知るだけですからねえ。
でも作曲科出て昔と同じミサ曲書いたら普通は笑われますよ。
もちろん聴衆は良いとか美しいとは行ってくれますが、
この前のジークブルクのCDの批評をしたようにそれで残ったのはまず一つもありません。
普通は通常文で書くのですがこれがまた難しい!
既成のミサと全く一緒になってしまうではないか?
だったら普通の実用音楽としてのミサには使えるかも知れませんが、
芸術的には全く意味はないわけです。
ここではあくまでも芸術ミサについて語りたいと思います。
実用ミサは腐るほどありますしね。
要点はいかにして今時ミサを作曲して残すかですね。
まず通常文で良いのか見直す必用があります。
それはローマ法王が許可するとかしないとかの次元ではありません。
形式をどれだけ踏襲するのかもいつも大問題ですね。
第一にローマ法王に気に入られるかではなく、
いかにして芸術的に優れた音楽を残すかが最優先でしょう。
僕がこの次にミサを作るならもう声楽は用いないかもしてません。
管弦楽の演奏だけを持ってミサ曲とするかもしれません。
電子音楽でテープだけかも知れません。
礼拝の最中にサイコロを振って音を決めるのかもしれません。
それだけ大胆でないとこの厳しい世の業界はやってゆけないですね。
まずサーバーについてですが
昨夜、相当に混雑していたのですが
ある時間帯にふっと軽くなりました。
たぶん、ヘビーユーザーが使用を止めたんでしょう。
迷惑な話ですよ、ほんとに。
ミサ曲および「ミサ曲のつくりかた」についてです。
この「ミサ曲のつくりかた」のページを書こうと思ったのは
作曲するという視点を持った方が、ミサ曲の歴史をうまく説明できそうだ
という理由からでした。
ですから、作曲の専門家にとっては、ただの音楽史的な考察なわけです。
それはさておき
> ここではあくまでも芸術ミサについて語りたいと思います。
という菅野さんの方向性は、もちろん受け入れます。
私が書く内容が、いってみれば「素人向け」であったとしても
菅野さんとの議論は、とても貴重だからです。
さて、そういうスタンスから、芸術としてのミサ曲のこれからのあり方を考えると
たとえばディーリアスの《人生のミサ》のように通常文とは何の関係もない作品や
フェッターの《Missa universalis》のように仏教的な唱法で歌うものであるとか
何らかの形で従来とは違ったミサ曲が生まれてほしいとは思います。
ただ、宗教音楽の研究者としては、
ミサ曲というカタチ、タイトルさえあればいいというのではなく
ミサ曲の根本理念を何らかの形で踏まえてほしいというのが希望ですね。
ヘンテコな曲を持ってきて、勝手に「ミサ曲」と名付けたとして
それではコンセプトがちっとも面白くないからです。
そう考えると、逆に、テキストもカトリックやキリスト教の認めたものにとどめる必要はなく
自分なりに良しとするものでいいわけですが
菅野さんは日本語ではダメという主義なので(笑)
どんなテキストにすればいいかという議論は難航しそうですね。
なにはともあれ、議論を重ねていけたらと思います。
さっき何か書いたのですが間違って消えてしまってもう忘れました。
明日思い出すかもしれませんが?
思い出してください。
いやほとんど忘れました。
何かミサ曲作法に対する反論だったような気がしますよ。
反論おおいに歓迎です。
他にも相当BBSやブログ書いていますからねえ。
余りいちいち覚えていないですね。
明日の葬式は6曲も曲が来てしまいました。
更に午後は女声合唱を自分でピアノ弾き振りしてモーツァルトのオペラを銀婚式でやります。
明後日は通常の日曜日の仕事。
今日からSWRはドナウエッシンゲンが始まります。
例年の様に前部一日中生放送でこれも聴かないとならない。
問題は今日のシュパーリンガーの「環境オーケストラ」?
何か指揮者がいなくて4時間かかるとか言っていますよ。
同時間のWDRは昨日聴いたプローべの本番。
仕事があるのは良いことじゃないですか。
でも、日曜日も仕事っていうんじゃ、菅野さんはいつが休みなんですか?
そうそう、ラジオは録音すれば?
Webradioは録音予約できるソフトもありますよ。
私はMac用のそういうソフトを使っています。
休みはないですよ。
今ロバート・レヴィンのハイドンの交響曲の解説を聴きながら中休みということで書いています。
ここではどんなに仕事があっても月に貰うお金は同じですから、できるだけ少ないほうが良いです。
ラジオはPCに入れておければ良いですね。
でもソフトの悪寒rを払うのは嫌です。
良く機能しませんからねえ。
ここでは事実上Macのパソコンは手に入りません。
Win.が前部潰してしまったのですね。
極めて良くないです。
余計な問題はこれ以上作りたくないですね。
ああ、昨日HPパソコンから質問の答えが返ってきましたが何しろ忙しくて開けていません。
つまり自営業と同じなんですね。
休もうと思ったら、自分でやりくりしないといけない。
それは私も同じ状況なので解ります。
いちばん問題なのは、家が仕事場になることではないですか?
僕もほとんどの仕事は家ですね。そしてその結果としてオルガン弾きにいったり、午後は女性合唱を弾き振りしたり。でまた帰ってきて明日のオルガンの練習をします。その間にこれを書いているのです。良い気分転換になりますね。PCの休みを入れると練習も効果的になります。
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