2009年9月25日金曜日

(1) ひとは音楽を必要としている

三年前の冬に家族同様の猫を一匹失いました。
野良猫だったのを餌をやっていたら、近隣の住人から庭で糞をすると文句を言われ、やむを得ず引き取って面倒を見ていた若い猫です。動物病院で避妊とワクチンの処置をした時、院長先生から長生きできないと言われました。なんでも、心臓の鼓動が不安定で、糖尿病の気もあるらしいのです。それでも、とら子と名付けられた茶とらの猫は、先住者の3匹の猫たちに虐められながらも、2年くらいは元気に走り回っていました。

とら子はなぜか、家族の中でも私だけになついていました。仕事をしていると足下に、寝るときは枕元にいて、私が外出するときは家の中から「行くな!」と鳴き叫びました。そんなとら子が逝ってしまったのです。
冬のまだ暗いうちに、突然ゲホゲホと咳をしたので家人と一緒に飛び起きて様子を見ると、力なくぐったりしています。眼はビー玉のようになって、急速に光が消えていく。動かない。何度声をかけてもまったく動かない。とら子はまだ3歳なのに…。
私たちはなけなしのお金でペットの葬儀屋を呼び、葬儀屋の車でトラ子を火葬にしました。骨になるととても小さいのですね。お骨を箱に入れてテーブルに写真とともにおいて、線香をあげる毎日が続きました。

とら子を失った悲しみは、じわりじわりとやって来ました。自分を慕っていたとら子にいったい何をしてやれただろうか。悲しみに後悔や悔しさも入り交じって、涙が流れました。
けれども、不思議なことに、私は不思議な気持ちも抱くようになっていまし。とら子があれほど私に付きまとっていたのは、何かをしてほしいわけではなく、ただ一緒にいたいからだったと思うと、体もも温かくなったのです。この気持ちが悲しみを鎮めてくれました。そこから、とら子のために一枚のアルバムを取り出し、古いLPプレーヤーでとら子の写真を見ながら聴くまでにさほどの時間はかからなかったと記憶しています。そのLPアルバムは、不世出のバリトン、ハンス・ホッターの歌う『冬の旅』(写真はCD)でした。

人生は旅にたとえられます。とら子の生涯もまた旅でした。冬に命が尽きたとら子に『冬の旅』はしっくりきます。いや、それは残された私の心のためのものだったのではないでしょうか。死の音楽はいつも、残された者の生のために奏でられるのだから。
伝説の東京ライブでのホッターは、深く温かい声で、とら子を看取った私の心を包んだことは間違いありませんでした。

エピソードが長くなりました。でも、私の心には、たしかに音楽が必要だったのです。そして、「死」を意識してひとが選ぶ音楽は、そのひとの人生を反映しているのだと思います。そんなことを踏まえつつ、「死の音楽death music」をテーマに、少しずつ考えていきたいと思っています。



シューベルト《冬の旅》
ハンス・ホッターの東京ライブ
SONY SRCR-1848

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