2009年9月18日金曜日

ラミレス《ミサ・クリオージャ》

私たちが親しんでいるミサ曲の多くは、カトリック教会のミサで唱えられるミサの通常文ordinariumに曲をつけたものです。その意義と歴史は別の機会に譲りますが、1962年の第2ヴァティアカン公会議で典礼刷新を受け、自国語によるミサ曲が作られるようになりました。日本では、故高田三郎さんの《やまとのささげうた》が知られています。

ここで紹介する《ミサ・クリオージャMisa Criolla》もその一つ。1964年に作曲され、67年には当時のローマ法王パウロ6世の前で演奏されたそうです。
作曲者のアリエル・ラミレスAriel Ramirezは1921年、アルゼンチンに生まれ、アルゼンチンとヨーロッパで学び、フォルクローレを生かした創作活動を行ってきました。

フォルクローレとは、元来は「民俗学」の意味ですが、日本では、ラテン・アメリカ民族音楽や、民族音楽に基づいた大衆音楽を意味することが多いようです。
アルゼンチンは南米の中でも白人の比率が多く、現地で生まれ育った白人は「クリオージョ(クリオージョ)」と呼ばれています。この作品の題名はそこに由来しています。

さて、このCDを演奏しているのは、ロス・カルチャキスというフォルクローレのグループですが、ここではアンデスの民族楽器が使われています。この曲は他にもいくつかのCDがリリースされていますが、作曲者ラミレスの意図に最も近いのが、この演奏と言われています。私自身も、この演奏がいちばんのお気に入りです。

ヴォーカルの甘い声、楽器のジャカジャカ感、そして何よりもアンデスの空気を感じさせる響きを楽しんでいただければ幸いです。

ラミレス《ミサ・クリオージャ》 仏アリオンARN64050

2 件のコメント:

torajiro さんのコメント...

☆☆☆データベースのクラッシュで消えたコメントを復活させました☆☆☆


1. 菅野茂 wrote:

もうフラームスのドイツレクイエムのときからミサの規則は破壊していますね。リリングによると葬送行進曲が第二楽章にあり、第六楽章はディエス・イレエだそうです。フォーレも最後はないですが、有名なのはブリテンの戦争レクイエムでしょう。武満のも弦楽のためのレクイエムか?三善も!?でも普通のミサはカタをはずしたのはまだ少ないですね。いやバッハのルーテル・ミサがある。あのミサの順序ってここのプロテスタントの教会の礼拝の順序ですね。カトリックみたいで笑っちゃいます。

Reply to this comment | 2009年9月17日 @ 19:10
2. torajiro wrote:

《ドイツ・レクイエム》の場合、カトリックの典礼でも
プロテスタントの礼拝でも、使うことは意図されていません。
純粋に、演奏会のための作品として企画されていました。

リリングさんは第2楽章を葬送行進曲ととらえているそうですが
これは3拍子というのが、私にも分からないところです。
(たしかに葬送行進曲に感じられるので)
また第6楽章は、「怒りの日Dies irae」と同様に
最後の審判の様子を描いていることは確かですが
埋葬式の「Libera me」もまた最後の審判を描いています。
これはフォーレの《レクイエム》でも第6楽章ですから
それと同じように私は捉えています。

ちなみに、「怒りの日」は、今日の死者のためのミサでは唱えられません。

Reply to this comment | 2009年9月17日 @ 20:26
3. 菅野茂 wrote:

ローマ法王はケルンの大聖堂で演奏されたベートーヴェンのミサ・ソレムニスについて2年前にTVで解説していましたが、同じように演奏会用の作品であることを断定していました。バチカンの予算は何時も彼の鶴の一声で決まるので、最近はあそこで連日コンサートばっかりのようです。彼自身も下手だけど自分でバッハの平均率を趣味で弾くのですね。良くTVに出ています。最近は宗派の区別の取り払って、バッハやメンデルスゾーン、ブラームスなどもバチカンでどんどん取り上げるようです。普通の交響曲までやりますからねえ。

Reply to this comment | 2009年9月19日 @ 17:14
* torajiro wrote:

ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》は、ミサでやると長すぎますからね。
それでも、特別なミサで使えないこともないです。

でも、シューベルトのミサ曲やフォーレの《レクイエム》は
テキストの一部が欠落しているため、そのままではミサに使えません。
フォーレを広島の教会で歌ったときは、
欠けている部分を無理矢理押し込んでやってました。

カトリックは、何でもあり的なところがありますし
音楽家にとっては、いいパトロンなのかもしれません。

Reply to this comment | 2009年9月19日 @ 18:24
4. 菅野茂 wrote:

カトリックはやはりいつもちゃんとミサの形式を踏まえないと駄目なのかな?いつか逆にアニュス・デイからやってみたいですね。もちろんキリエで終わる!

Reply to this comment | 2009年9月19日 @ 18:49

菅野茂 さんのコメント...

というか日本では極めて珍しいのかもしれませんが、こういうミサはしょっちゅう作曲されて演奏されています。まあいつもローマ法王の前とは限りませんが、この前もあるミサのCDの感想を書きました。
http://www.c-music.jp/index.php/blog/detail/i/8444886178/year/2009/month/10/day//blogid/10528/