2009年9月18日金曜日

(2) 《ドイツ・レクイエム》との出逢い

《ドイツ・レクイエム》について考えるためには、ブラームスについて、あるいはロマン派について、さらにはドイツの宗教音楽について、ある程度の予備知識が必要となります。そこでここでは、ブラームスや彼の時代、また当時の宗教音楽について簡単に説明しておきたいと思います。
ただ、その前に、語り手である私torajiroが《ドイツ・レクイエム》とどのように出逢ったか、そして、なぜこの作品について考えをまとめてみようと思ったかについて触れさせてください。

■《ドイツ・レクイエム》との出逢い
私は高校生の頃、皆川達夫さんの『合唱音楽の歴史』を読んで、そこに挙げられている作品をすべて聴いてやろうと心に決めました。モーツァルトの《レクイエム》にはまっていた私は当然、有名な作曲家のレクイエムを片っ端から探し求めました。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》もその中の一つです。


行きつけのレコード店で《ドイツ・レクイエム》を探します。「あった! でも、2枚組。ということはお金が足りないや。」当時のLPレコードでは、この作品は1枚に収まり切れず、2枚組だったのです。ところが、1枚のレコードが見つかったのです。大喜びで買って帰りました。
わくわくしながらジャケットからレコードを取り出し、ターンテーブルに置きます。プレイボタンを押すと、自動的にアームが動いて盤面に降りていきます。期待が高まります。ところが、なんだかガサついた音がするではありませんか。雑音の奥の方から、やっとハーモニーが聞こえてくる感じです。ボリュームを上げると、雑音も大きくなるだけ。
結局、全曲を聴き通したものの、私の心は満たされませんでした。

その後分かったことですが、レコードはモノラル録音で、それだと盤に溝を刻む都合で、長い曲でも1枚に収まるらしいのです。このレコードの演奏は、ブルーノ・ワルター指揮のニューヨーク・フィル。これも後で知ったことですが、ワルターは名指揮者中の名指揮者です。ところが、若い私には、ブラームスもワルターも、そして《ドイツ・レクイエム》も、つまらないものにしか思えませんでした。

そして二十年後、ある合唱団で《ドイツ・レクイエム》を歌うことになりました。大学で宗教音楽学を研究した私は、《ドイツ・レクイエム》のCDをすでに何枚も聴き、嫌いではなくなっていました。ただ、いつも聴きたいレパートリーではなかったのも事実です。それが、人生の半分を終えた今、歌詞を読み直すと、かつて何も感じられなかったのが嘘のように、聖書の言葉が心に沁み入ったのでした。
感じ方が変わった最大の理由は、人生の労苦がいくらかでも分かる齢になったことでしょう。
それに加えて、仕事としてですが、この時期、聖書を集中して読んでいたことや、そんな状況の中で何人ものクリスチャンと知り合い、神や信仰について考え始めたことも大きいと思います。自分の人生観や死生観、また、宗教観や信仰が変化し成長したことで、宗教的な歌詞を持つ音楽の感じ方や理解の仕方も変わってきたということです。そうして歌詞にリアリティが感じられるようになり、この作品への取り組み方や表現の仕方もまた変わったように思います。

《ドイツ・レクイエム》から何を感じるかは人それぞれであり自由です。ただ、一つだけ言えるのは、ブラームスが、カトリックの型通りの「レクイエム」では飽き足らず、生きることと死ぬことの意味について深く考えたうえで創作に望んだに違いないということでしょう。作曲家が自発的に創作するようになった19世紀の西欧においては、宗教音楽も作曲家個人の世界観を映し出すものとなっていきました。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》は、そうした音楽作品の中でも記念碑的な作品だと私は考えています。

こんなわけで、《ドイツ・レクイエム》について考えることは、私にとって自分の音楽生活を振り返ることになるのですが、それはまた、この作品に馴染みのない方、どうも好きになれないという方を、理解と共感へと誘うためのささやかなお手伝いでもあります。私が、かつてはそうだったからです。

人の耳、音楽の耳は、年齢とともに、また経験とともに確実に変化成長を遂げます。このことを踏まえつつ、次の章では、ブラームスの活動した時代について、簡単に振り返っていくこととします。

《ドイツ・レクイエム》自筆譜(第1楽章の歌い出し)

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