2009年9月26日土曜日

バッハ《ミサ曲ロ短調》

18歳の春、浪人中であるにもかかわらず、市民合唱団に入りました。合唱コンクールの自由曲で歌ったのが、バッハの《ミサ曲ロ短調》BWV.232の「Gloria in excelsis Deo」と「Dona nobis pacem」でした。結果は残せませんでしたが、この作品と出逢ったことは、私の音楽生活にはプラスになりました(受験にはマイナスでした!)。

《ロ短調ミサ》は、同じくバッハの《マタイ受難曲》とは全く別の魅力を持っています。《マタイ》が人間の「裏切り」に眼差しを向けて音楽も組み立てられているのに対して、《ロ短調》はラテン語の歌詞であることもあって、純粋に音楽的なのです。当時の私には、この作品全体は巨大なモニュメントが眼前にあるかのように感じられましたし、静かな部分では、瞑想に誘われるかのようでした。

その後、さまざまな演奏を聴いた後ですが、今ではフランツ・ブリュッヘンの演奏が気に入っています。とりわけ18世紀オーケストラの響きには感服します。それに比べて合唱がやや非力なのですが、カウンター・テナーのマイケル・チャンスをはじめとして、独唱は美しいと思います。少し前に出たグスタフ・レオンハルト盤もいいのですが、カウンター・テナーのルネ・ヤーコプスの癖のある歌い口が、私のイメージする《ロ短調》には合わないのです。

さて、この《ミサ曲ロ短調》は、いくつかのステップを経て全曲が完成されています。その経緯はここでは説明しませんが、全体がバロックの「カンタータ・ミサ」のスタイルで構成されています。
「カンタータ・ミサCantata Mass」(「Missa cantata歌ミサ」とは別)とは、イタリアのナポリで始まったミサ曲の作曲法で、歌詞を細かく分け、それぞれを独唱や重唱、合唱といった一つの曲として音楽を付け、それらを並べて全曲と成すものです。
本来のカンタータにはレチタティーヴォが付きものですが、「カンタータ・ミサ」ではレチタティーヴォはありません。典礼であるミサの中で司祭が朗唱する言葉がその代りだと言えるかもしれません。
ともあれ、「カンタータ・ミサ」のスタイルは、長く豪華で祝祭的なミサ曲を書くためにうってつけで、すぐにドイツにも伝わりました。

ところが、バッハの死後、18世紀後半になると、「カンタータ・ミサ」に含まれる曲数は減っていきます。つまり、従来は1行から数行を1曲として作曲していたのが、5行10行以上の行に曲を付けるようになったということです。これは演奏時間の短縮とミサ全体の簡素化にもつながったのですが、音楽的に見れば、長い作品の構成原理が変わってきたことを反映していると考えられます。
中世では、聖歌の旋律を長く引き延ばした「テノール」が作品の屋台骨でした。ルネサンスでは、同じ旋律を各パートが繰り返すことで音が組織化されていました。バロックからは歌詞の内容に応じて異なる性格の曲が書かれ、それらが組み合わされて全体が構成されました。そして、18世紀の終わりには、ソナタ形式のような原理で曲が書かれ始めます。

バッハの《ミサ曲ロ短調》は、そうした歴史の流れに屹立する記念碑的な作品です。

ブリュッヘン指揮の《ミサ曲ロ短調》 マーキュリー・ミュージックエンタテインメント PHCP-1672/3

1 件のコメント:

torajiro さんのコメント...

☆☆☆データベースのクラッシュで消えたコメントです☆☆☆


1. 菅野茂 wrote:

これはリリングのとこで指揮習って歌いもしましたね。とにかくたくさんの曲があるので大変です。大曲なので未だに整理が付きません。昨日は彼のクリスマス・オラトリオとリヒターのメサイアのCD安かったので買ってきました。やはりもう少し宗教音楽に力を入れないといけませんからねえ。じゃないと自分の専門ではないのでずぼらになって勉強しようとしませんね。

Reply to this comment | 2009年9月25日 @ 19:12
2. torajiro wrote:

ヨーロッパで音楽をやろうとすれば
宗教音楽ないし教会音楽は避けられないのでしょうね。
でも、音楽は音楽ですから。

要は歌詞と典礼(礼拝)の理解の問題かと思います。

Reply to this comment | 2009年9月25日 @ 20:48
3. 菅野茂 wrote:

まあ宗教音楽がクラシック音楽一般に完全に食い込んでいますからねえ。切っても切り離せないのではないでしょうか?

Reply to this comment | 2009年9月25日 @ 21:28
4. 菅野茂 wrote:

今「2001」のCDからログの整理してたら、この曲のカラヤンのPOは持っているけど、WSのは持っていないことがわかりましたので、次回買ってみようかと思います。僕は最近は素人でもこぞってやるCD批評はやらなくなりました。演奏は良くとも悪くとも安物を全部集めて聴いてみようという方向でやっています。どれが一番良いとか結局くだらないですね。順位つけても仕方がないです。

Reply to this comment | 2009年9月26日 @ 01:03
5. 菅野茂 wrote:

昔はケルンの会社でCD批評をしてCDただで貰っていましたが、今だと気軽に安く買えますからねえ。いつも一枚3ユーロ以下は全部買っています。すると聴ききれないほどたまるのですよ。

Reply to this comment | 2009年9月26日 @ 01:07
6. torajiro wrote:

コメント3連発ですね!

3ユーロとは日本では中古でしかないですね。
せいぜい500円がいいとこで、しかもクラシックは少ない!

CD批評は、アマチュアの人の方がいろいろと聴いていることも多いですから、私の場合は想い出話と時々の専門家でしか書けない話でお茶を濁しております。
いい演奏で聴きたいのはやまやまですが、CDを全部コレクションしていたら本来の仕事や研究ができませんし。というか、私の場合は20代前半で、集中的に聴く作業は終わりました。

Reply to this comment | 2009年9月26日 @ 01:55
7. 菅野茂 wrote:

ここは中古はほとんどなくて、あってもマイナーで高いです。
ならばいつも一枚1ユーロの新品ですね。
まあそのほか音楽図書館からも大量にCDや楽譜が借りられますが、
返すのが嫌なので買っちゃいますね。
とにかくここは安いのですぐ買っちゃいます。
でも聴く時間がないので山のようです。
でも家は広いので置き場所はたくさんあります。
10部屋ぐらいあるかな?
いつも使うのが3部屋で後は物置です。
普段はいつもFM聴いているのですよ。
SWR,WDR,HR,DLFが常時聴けますね。
聴ききれないときはテープに取って聴いています。
今も書きながら聴いています。
曲目はショスタコーヴィッチのピアノ3重筝曲です。
宗教曲だけとか絞らないので大変です。
それはそうとピアノの練習しないといけません。

Reply to this comment | 2009年9月26日 @ 06:25
8. torajiro wrote:

ドイツはうらやましいですねえ。
私は、コンピュータで聴くしかないのですが
ずっと耳を悪くしているのと、他の家族や友人がいることが多いため
音を流しっぱなしってことはないですね。
耳が悪いためヘッドフォンも使わないようにしています。

Reply to this comment | 2009年9月26日 @ 12:50
9. 菅野茂 wrote:

NHK・FMは聴かないのですか?
この前書いたSWRのリンクはそのままそこでもPCで聴けます。
ここは公共放送が複数ありますから、選べるのですね。
今やっているのはWDR・FMでリストの交響詩「前奏曲」シノポリ、WP.
ここはヘッドホンは使いません。
家族はクラシックや現代音楽をいつも聴くようにしつけてあります。
生まれたときから一日中聴かされていますからねえ。
午前0時でも部屋が広いので家族が二階で寝ても自分はここで普通の音量で聴けますね。
ここでトランペット吹いても同じです。

Reply to this comment | 2009年9月26日 @ 17:01
10. torajiro wrote:

ふだんは音を出せないので聴けません(泣)。
聴いたところで、生半可な音量だと耳鳴りがマスクしてしまいますし
大音量だと、仕事が手に付かなくなります(笑)。

Reply to this comment | 2009年9月26日 @ 23:01
11. 菅野茂 wrote:

僕は必ず何らかの音を流して仕事をします。
時間がないので片っ端から音を聴かないとどんどん放送やCDがたまってゆくのです。
CDやラジオを聴けないのはピアノなどを練習するときのみです。
音楽は何でも原則一回のみです。
良い音楽や演奏は記憶に残りますがたいしたことないとすぐ忘れます。

あそこの家は極端に狭かったですね。
東京の家はどこでも狭いですが、あそこはギネスブック物ですね。
あそこまではさすがに行くまで見たことはないです。
ドイツは逆にどこでも広い家ですが、
ここの農村なので特に広いです。
10部屋ぐらいあると思います。
キャッチボールもできるかな?
ホームラン打っても良いですよ。

Reply to this comment | 2009年9月27日 @ 00:37