2009年9月18日金曜日

翻訳者は裏切り者

この春は、イタリア語の翻訳の仕事をしていました。宗教、歴史、地理、芸術など広範囲に渡るテキストで、なかなかやりがいのある仕事でした。翻訳といえば、こんなことわざがイタリアにあるそうです。

「Traduttore, traditore 翻訳者は裏切り者」

音楽史上、私の知っている限りで最大の誤訳といえば、まず、コープランドCoplandの《アパラチアの春Appalachian Spring》が思い浮かびます。どこが誤訳ですって? それは「spring」には「春」だけでなく、「泉」という意味があると言えば分かるでしょう。
でも、この曲名は、後になって付けられたとか。それにもかかわらずコープランドの元には、「アパラアチア山脈の美しい春の様子が目に浮かびます」といった感想が多数寄せられたといいます。いや、「spring」をどう解釈するかという問題ですから、英語圏の人にとっては誤訳ではないですね。「spring」=「泉」と判明してから放置されている日本語の題名が、誤訳状態にあるというのが正確なところでしょうか。実は私も高校の音楽でこの曲を聴いた記憶があるのですが、すっかり騙されていました(笑)。

で、話を宗教音楽へと戻します。

もう10年以上も前のことですが、ハイドンHaydnのミサ曲を買いに行きました。CDを手に取るとケースには《Paukenmesse》と《Missa in tempre belli》とあります。前者はドイツ語で「太鼓ミサ」の意。後者は原題のラテン語です。さて、日本語表記を見ると「良き四季斎日のミサ曲」とありました。「うーん、たしかこの曲は《太鼓ミサ》か《戦時のミサ》って呼ばれてたんじゃなかったっけ」と疑問が生じます。

「belliはイタリア語のbellaで、美しい=良き、ってことなのかなあ」などと考えつつ、恩師であるスペイン人神父さまに話してみました。すると、すぐに問題解決。
どういうことかと言うと、「missa」はラテン語で、イタリア語だと「messa」。じゃ、当然、「belli」もラテン語。だとすると、「bellum(戦争)」の格変化で、「tempore」は「斎日」ではなく「時」の意味で、やっぱり《戦時のミサ》にしかならない。

そして、どうして、こんなミスが起きたのか調べてるために『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂)を引いてみると、「ビンゴ!」。この辞典からして間違っていたのです。

しかし、「戦時のミサ」が「良き四季斎日のミサ」となって、曲の聴こえ方が変わるとも思えないので、どうでもいいことなのかもしれませんね(笑)。今でもネットではこの誤訳が広まっているのを見るにつけ、気にはなるのですが…。

辞典の方は、その後、訂正されたかどうか、私は知りません。
(でも、とても便利な辞典であることは間違いないです)

そういえば、「鎮魂曲」というのも、誤訳だと思います。



バーンスタイン指揮
《戦時のミサ》

1 件のコメント:

torajiro さんのコメント...

☆☆☆データベースのクラッシュで消えたコメントです☆☆☆


1. 菅野茂 wrote:

もしこれが正しいとしたら、ドイツでも見事に誤訳で通っていますね。

「アパラチアの春」は良い音楽ですよ。アメリカにもこういう良い曲があるのに現地のオケはちっともやらないですね。宝の持ち腐れです。昔の戦争には良く馬の鞍につけたティンパニが活躍したそうですから戦時のミサ=Pauken messseになったのでしょう。

今帰ってきました。ガキンチョの礼拝でゴスペル調の賛美歌が使われました。最近はカトリックでもゴスペルが盛んですが、これやらないと若い人は全然来ないそうです。ここからは主流になるようです、ということはゴスペルの宗教音楽の仲間入りをしたということでしょう。宗教音楽学者の仕事が増えるようです。

Reply to this comment | 2009年9月17日 @ 17:09
2. torajiro wrote:

ゴスペルといえば、
私はアメリカのTake6というグループが好きですね。
黒人でしか出せない温かく分厚い音の響きがいいです。
あと、映画では《天使にラブソングをSister Act》がありました。
ウーピー・ゴールドバーグ主演の面白い作品です。

しかし、ゴスペルで何を研究すればいいか
私にはまだ見当がついておりません。

《アパラチアの泉》については、
英語版のwikipediaで、「春」とする解釈の誤りが指摘されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Appalachian_Spring

Reply to this comment | 2009年9月17日 @ 17:46
3. 菅野茂 wrote:

ここも日常的に黒人には会います。どこでも近くに住んでいるのですね。教会には特に来ないようです。でも若い人たちはゴスペルじゃないと来ないようです。普通の音楽じゃつまらないのですね。別にそれを応援しているわけではないですが、これだけ盛んになると宗教音楽に入れられる日が近いのではないかと思われます。実はカトリックもプロテスタントも毎年信者が減っています。シュテルンなどの雑誌が聖職者の給料などをすっぱ抜いて、毎週の説教が型どおりのつまらないものとわかると、みんな何のための教会税とか疑問を持つようです。司祭の報酬?ここでもばらしますが、医者の次に良いです。まあ医者・大学教授が平均月収100万円とすると80万ぐらいというところですか?こういう高額の報酬は中世からの伝統のようです。それを生活保護程度の信者に向かって献金しろ、献金しろばっかり言うのですね。そりゃバカらしいですよ。止めるの当たり前です。

Reply to this comment | 2009年9月19日 @ 00:38
* torajiro wrote:

聖職者はなかなか裕福なのですねえ。
それで「献金しろ」では、説得力がないのは分かります。

Reply to this comment | 2009年9月19日 @ 13:22
4. 菅野茂 wrote:

日本では生活補助が多く、そうでないのは確かです。カトリックは一律かも知れないけれど、プロテスタントは大変のようです。でも欧米は中世以来の権威の伝統がプロテスタントまで残っているようです。みんな博士の称号も義務ですからねえ。日本のキリスト者共同体の創設者の小林さんが漏らしていましたね。家の司祭の給料は生活保護と同じなので車で事故も起こせないとか?それだったら「かんばれ」と強力する気になりますね。

Reply to this comment | 2009年9月19日 @ 17:18
* torajiro wrote:

やっぱり人々の苦しみって、自分も同じところに降りて来ないと分からないですよね。
誰か言ってましたが、英語の「understand」は、「下に立つ」ことで成り立つとか。

Reply to this comment | 2009年9月19日 @ 18:29
5. 菅野茂 wrote:

これは面白い単語の意味ですね。いつも漠然と使っていました。

今日は車が壊れて合唱の会合に出れないので暇です。明日のオルガンまで足が何とかなれば良いのですが。田舎はとても嫌いです。小さな借家でも良いから都会が良いですね。

Reply to this comment | 2009年9月19日 @ 18:47